2009-01-23 結局いつもと同じもの 日録 ふと思うところあり、磯崎新の本を読みながら、宮澤淳一の『マクルーハンの光景』も読み始める。冒頭に置かれたマクルーハンの「外心の呵責」の濃縮っぷりが面白い。 人間は、頭蓋骨を内側に入れ、脳みそを外側に出して耐えている。私たちは異様に脆弱になった。米国で通信が商用化されたのは一八四四年。キルケゴールが『不安の概念』を出版した年である。 アルバイトがひとコマ早く終わってしまったので、ちょうど近くにいた柚子と、駅前のスパゲティ屋で夕食。薬局で買物をしてから、ひとり自転車で帰宅する。