『ヴァージン・スーサイズ』をみる。

  • 夜中、ソフィア・コッポラの『ヴァージン・スーサイズ』をDVDでみようとすると、私の部屋のDVDプレイヤが頑として認識しない。どうしてこの映画をみようとすると何か起きるのだろう……。しかたなく、居間のTVで、それに繋がっている、姑が使っていた作動音がうるさいDVDプレイヤで、みる。
  • 女の子と云う何かが突然の嵐のように男の子のなかを突き破って噴き抜けて、その傷は男の子のなかで決して癒されることがない。それは、精神病院に入っている青年だけではなく、他の全員がそうである。最後のショットで、四人の男の子たちが呆然と女の子たちの住んでいた家の前で立ち尽くしているのを、キャメラは四本の木の切り株と共に収める。女の子がいなくなることで、去勢されてしまった男の子たち。男の子たちを全員去勢してしまうほど、女の子たちが、他者を些かも必要とせず、みずからが女の子であることを円環的に肯定し尽くしてしまう。つまりそれは自殺してしまうことで、最初の女の子が自殺未遂をする際の、或るひとつのショットで、彼女が好きだったものが並べられているなかに、如何にもお姫さまグッズっぽい扇子があるのは、もちろん『マリー・アントワネット』に繋がってゆく。ソフィア・コッポラは『ヴァージン・スーサイズ』を些かも超えられないまま、いや寧ろ、その自己閉塞の中から出ないことで、映画を撮った。しかし、冷蔵庫の中はもう空っぽのはずで、これから新しく撮るのかどうかは、判らないけど。
  • 姉妹の父を演じたジェームズ・ウッズがとても良かった。
  • 真夜中、T内君と『アラザル』の原稿のためSkypeでチャットしていると、レヴィ=ストロースが101歳を目前に亡くなったのをTwitterのTLで知る。ああ、本当に何かが終わった。