『かいじゅうたちのいるところ』をみる

  • 夕方までだらだらとしている。柚子と三宮まで出て、そのままモスバーガーで夕食をとり、ミント神戸のレイトショウで、スパイク・ジョーンズの『かいじゅうたちのいるところ』をみる。
  • 兎に角、かいじゅうたちの造形とその運動っぷりが、ほんとうに素晴らしい。それらを捉えるキャメラもかなりいい(光線を掴まえる感じが、ちょっとソフィア・コッポラぽいなあと思っていたら、やっぱりランス・アコードだった)し、かいじゅうたちが作りあげる大きな「砦」のフォルムも大変いい。かいじゅうの声をあてている俳優たちのキャスティングも、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の牧師のポール・ダノとか、『アメリカン・ビューティー』の隣の家のあのお父さんのクリス・クーパーなどで、なかなか面白い……のだが、当のかいじゅうたちが、実に陰気なのである。しかもそれは、さすがはかいじゅうどもだ!と云うような、ありえないような陰気さ、なのではなくて、じぶんがさっきまで履いていた二日目の靴下を鼻先に押しつけられたような陰気さなのである。かいじゅうのひとり(キャロル)が、突然(マックスくんに対して)、薬缶の蓋が吹き飛ぶように怒るそのやりかたをみて、うわ、こりゃまったくおれじゃないかと思い、しまった、こんな映画なのだったのなら、柚子と一緒にみるんじゃなかった……と、疼くような恥ずかしさと共に、後悔する。つまり、ちょうど、『レボリューショナリー・ロード』をみたときと同じような気持ちになったのである(帰宅してから佐藤哲也が書いたこの映画の評を読んだら、やっぱり『レボリューショナリー・ロード』が触れられていて*1柚子と笑った)。
  • 今みてきた映画の話をしながら、ぷらぷらと「フーケ」まで行って、ケーキを買って帰る。
  • 帰路、U君と電話で話す。目標と目的は、戦術と戦略のように、キチンと分けたほうがよい、と云うような話。帰宅して、居間で柚子とお茶を呑みながらケーキを食べる。
  • その後Skypeでserico嬢と『罪神』に関する打ち合わせ。