• 祖母から電話がある。熱を出して寝込んだと聞き心配していますが、どうですか、と。面と向かって話をしていると、そうでもないのだが、声だけだと、ほんとうに、祖母はすごく歳をとったのだということが(祖母は大正一二年生れである)、思わず胸がいたくなるほどよく判る。柚子のおかげですっかりよくなって、今は元気にしていること。柚子も元気であると伝える。顔を出さねば。
  • 柚子と別れて、元町から新開地へ古本屋をぶらぶら。朝、鞄のなかに本を入れてくるのを忘れたので、何か読むためのものがほしかったのである。別々の古本屋の安い値段の棚で、クロード・シモンバディウをみつける。
  • 夜は、選挙がらみの日雇仕事へ。開票作業にちらちら目を配りながら、特に、その開始から一時間ほどの間、作業に従事する多くの人びとの挙措から立ちのぼる、焦りと苛立ちに満ち充ちた空気にやられる。いつの間にか、こちらもすっかり苛々してきていて、吐きだす言葉がきつくなっているのに気づき、これではまったくいけないと、仕事の合間に、買ってきたばかりのバディウの『倫理』を読んでいる。「当然のことながら、思考とはポジティヴな発案であって、さもなければ思考など存在しない。」
  • 途中、携帯へ飛び込んでくる都知事選の結果は、石原慎太郎の再選。私のツイッターのタイムラインでは、このままでは石原が再選されるが、それは勘弁してほしいから、「小池晃に入れるぞ!」と「共産党であるのが引っかかるが、やはり、消去法で小池に入れるしかないか」だけしかみることがなかった。だから、小池が当選しなかった以上、石原が再選されたのは判る。私が面白いと思ったのは、一位の石原と四位の小池の間を占める、二位のそのまんま東と三位の和民の渡辺美樹の得票数なのだ。二位と三位を合計すると、石原のそれより89,000票ほど多い。これだけの投票者がいるにもかかわらず、しかし、彼らに投票するしないに就いての議論なり意見の表明を、私のタイムラインでは、ただの一度もみることがなかったのである。私のまわりのみえるところにはいないのだけれど、石原にも小池にも投票しないが選挙へは行った2,703,801人の彼らに就いて、無党派層なんて言葉で括ってしまうのではなく、じっくりと考えてみるほうが、四位以下の支持者たちにとっては今後、2,615,120人を変節させることを狙うより、有益であると思う。私は考えないけど。
  • 日付が変わる前に何とか仕事を終えて、Y嬢と電話しながら最寄り駅へ出て、帰宅する。柚子が起きて待ってくれていて、晩御飯を食べる。