• 朝起きて、看護婦さんが窓を開けてくれる。一日、蒸し暑い日になった。朝は梅棹忠夫の『文明の生態史観』と丸山眞男の「開国」を交互に読んでいる。かちあわせて発つ音が大変面白い。
  • 昼食を終えてしばらくするとKY君がわざわざ奈良から見舞にきてくれる。お土産に西尾維新の『魔法少女りすか』を選んできてくれた。怪我の経緯を話して、彼から最近のアニメのレクチャーを受けて駄弁る。途中、リハビリの理学療法士(私の担当はきょうは休みで、別の女性)が顔を出す。KY君を病院の玄関まで見送り、三時から同じ一階にあるリハビリ室に。
  • 私は台の上に仰向けに寝るだけ。右肩から肘にマッサージを繰り返し、ときどき、折り畳み式の物差しの要のあたりに分度器状のものがついた金属製の器具で、肘の曲がる角度を計測される。手頚の内側の内出血は相変わらず。看護婦たちは三角巾で吊っておけばと云うがリハビリの療法士は別にどちらでもよいと云う。あると便利なときもあるので(しかし腕一本がこんなに重いものだったとは!)首からぶら下げたままにしている。手頚の内出血は、二週間くらいで吸収されて退いてゆくとの由。リハビリが終ってしばらくすると(動かしたからか?)小指と人差指の付け根と、その下の節のあたりもうっすら紫に染まっている。
  • リハビリが終ると柚子がきてくれている。友達からモロゾフの果実ゼリーを貰ったのを持ってきてくれたので、ふたりで食べる。しばらくすると私の父母が見舞にきてくれる。父は夏物のソフト帽に開襟シャツを着て杖を突いている。帽子は先日、母と阪神百貨店へ行き、買ったそうだ。父と母が並んで寄り添い、にこにこ歩いているのは、何度みても俄には信じ難い。父の大病の齎した最大の奇縁。
  • 柚子がタクシーを呼んでくれ、父と母を玄関まで見送る。
  • 病室に戻ると夕食。焼鮭。「魚、食べてるやん。」と柚子。明日は町内会の一斉の側溝掃除で、各戸の前のドブの泥さらいと草抜き。柚子に頼むことになり面目ない。柚子も帰り、玄関まで見送る。階段を登りながら(病室は二階)足元が軽く弱っておるのを感じ、気をつけなきゃヤバイぞ。
  • 私の寝台の左隣の、入口すぐ脇のお爺さんは看護婦や医師に問われたことに総て「はい!」と応えてしまう。「痛いところないですか?」「はい!」というわけだ。それであとでぽつぽつ文句を云うている。きょうはそれで何かちょっと面倒なことになったらしく、看護婦や看護夫が頻繁に出入りしていた。
  • きのうあれこれ話を聞いた私の前の寝台のお爺さんのスズキさん(仮名)のことの続き。
  • スズキさんの父親は軍人ではなかったが小磯国昭の下で働いていて戦前戦中に都内に八軒の家を持ち貸家にしていたが空襲で六軒が焼けた。スズキさんが機銃掃射を受けたのは中野車輌区で(国鉄で働きだしたのは戦後ではなく戦中)、貨車の下に潜り込んで助かった。三鷹車輌区に配置換えになってすぐ三鷹事件が起き、その日は非番だったが後片付けが大変だったらしい。スズキさんは、「シンガポール陥落で講和してりゃよかったんだよ」と云い「敗けてよかったんじゃねえの。どうせ軍が威張りくさってたろうからさ」と云う。
  • 風俗は赤線がいちばんよかったそうで(「女の子は洗浄するから衛生も安心だしさ。ん?サックなんかつけたこたねえよ」)、都内は船橋まではあちこちに行ったが、けっきょく、鳩の街(向島)の女の子がいちばん可愛かった。値段はだいたい何処も同じで泊まり二、三千円だった。ただし吉原は高くて行けなかった。
  • 八十歳になったら女に興味はなくなったと云っていたが、先日、新開地を散歩してきたらしい。「よくわかんないからどっこも入んなかったけどね」とのこと。
  • 消灯後も暫く本を読んでいる。暑いので窓を開けて網戸にする。
  • きょう父母が持ってきてくれた弟からの土産(ポータブルDVDプレイヤまである)のなかから花沢健吾の『アイアムアヒーロー』の第六巻を読む。