• 朝からいきなり採血。いちど血管が「逃げて」針が二度刺さることになる。「あーあ、若い血管なのにミスっちゃったよ……」と呟いた看護婦さんはしかし私とあまり年齢が変わらない。
  • 寝台の上で本を読んでいると、初めてのシーツ交換。パイプ椅子に移り、作業する看護婦さんに問われるまま骨折の折のことを説明しながら、てきぱきした作業を眺めている。皺のない、ピンと張った真っ白な蒲団の上に、できるだけそっと踵を下ろして、また本を読む。
  • レントゲンを撮る。あとで、それをみた執刀医がきて、「きれいにくっついてるから無理せず頑張ってリハビリしてね」。
  • きのうの朝は窓から、老人に連れられた柴犬の散歩をみた。同じ家族として生きるなら断然私は猫がよいが、外を歩く犬をみるのは好きだ。
  • 昼飯(たぶんこの病院のごはんはちゃんとおいしい)を食べて、少し本を読んで、少し眠くなり、リハビリに行く。きょうは右腕を挙げて、頭頂部を跨ぎ越して、人差指の先でぎりぎり耳のいちばん上のへりをちょんちょんと触ることができた。
  • 帰ってきてから、窓を開けて風にあたりながら、下の道路を帰ってゆく低学年の小学生たちを眺めている。らぶらぶー!と叫びながら走る男の子を後ろからどつきながら追う女の子を取り巻いてぎゃーぎゃー喚きながら笑っている集団が通り過ぎるのを微笑しながら眺めるが、暫くすると、その集団のあとに、或る意志を感じさせる距離を取って、俯きかげんに、しかし大股ですたすた歩く独りの男の子がやってきて、ああ!私はまちがいなくこっちだったな、と思う。
  • だらだらと本を読む。
  • 夕方、隣の爺さんが、前のおじさん(ふたりは仲良しである。おじさんは爺さんのことを時どき、「兵長殿!」と呼ぶ)が、私が寝ていると思って(黙って本を読んでいるだけ)間仕切りの向こうで私の話をしている。
  • 爺さんの声はかすれているがとても甲高い。「もうあさって退院て云うておった。まだ一週間経つか経たずやろ。クソー若さだナ!参っちゃうヨ!ピーポーピーポー云うてもなかなか新しいお客さんは来んなア!」
  • 爺さんはあまり身体の自由が効かないので、入院が長くなり、暇なのだ。私は転校生だったわけだ。前のスズキ(仮名)さんと話すか、看護婦さんたちと馬鹿な話をして笑ってばかりいて、しかも、自身の身体に就いて意見があるにもかかわらず、何でも「はい!」と返事するだけの爺さんのことを内心ちょっと小馬鹿にしていた私は、たぶんあまりよい「お客さん」ではなかっただろう。「クソー、若さだナ!」と、また爺さんが云った。
  • 本を読まずに、カーテンが風に膨らむのを眺めながらこれからのことを考える。ちゃんと仕事をしなきゃいけないな、仕事をしたいなと思う。
  • 夕食後の、看護婦さんのきょう最後の回診が終わってから、病院をぱっと抜け出して、すぐ近くの百均でカルピスウォーターを買ってくる。本を読みながら少し呑む。