『一九六七年一〇月九日の提案』でラカンはパスという装置を設立した。これによってラカンはAME(パリ・フロイト派会員分析家)とは別にAE(パリ・フロイト派分析家)という資格を認めた。このAEになる手続きをパスという。パスは次のように行なわれた。……分析を終えて分析家になろうと思った披分析者は、パスの事務局におもむき二人のパス代行者(passeur)をくじで決める。このときから彼はパス施行者(passant)である。パス代行者は、パス施行者と同じ程度の分析経験を持った、現在分析中の披分析者である。このパス代行者のリストは、すでにパスを通過した分析家(AE)によって選ばれる。パス代行者は、自分が選ばれたことをパス施行者からの連絡があるまで知ることはできない。そしてパス代行者に選ばれたならそれを断る権利はなかった。実際、パスにおける中心的役割を果たすのはパス代行者である。パス施行者は、パス代行者二人に連絡をとり、自分がどのように分析を終えたのか、なぜ分析家になろうと思うのかを、二人の前で別々に話して聞かせる。この方式はパス施行者の自由であり、各人が自分の好きな形で証言を行なえばよかった。さて、パス施行者は、パス代行者に自分が十分だと思うだけ話をした時点で(原則的には何年でもよかったが、実際平均一年ぐらいだったという)、パス認定委員会(委員会はラカンと六人のAEで構成され、ラカンを除く六人のうち半分は半年ごとに新しいAEと入れ代わった)に再び連絡をとる。委員会はパス施行者から連絡があった時点でパス施行者ではなく、パス代行者を一人一人呼んで話を聞く。そして委員会はパス施行者の分析経験が真正なものであったかどうかを、パス施行者本人に一度も会うことなく決定するのである。