『愛の勝利を』をみる。

  • 朝、台風がくるという話なので蝙蝠傘を携えて電車に乗り、降車すると傘を持っていない。駅の改札で遺失届を出してからシネ・リーブル神戸まで全力疾走して、ずっとみたかったマルコ・ベロッキオの『愛の勝利を』を、ようやくみる。クリント・イーストウッドの『チェンジリング』をふと想起したりするが、やはりこの映画はまず、X線の発見や精神分析の発明とちょうど同じ頃に誕生した、決して内面を持たぬ表象である映画なるものの、映画自身による渾身の自己分析であるとみるのが、最も充実しているだろう。或いは、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」の映画化であるとしてみることもできる。
  • テロルの爆煙が濃霧のように駅のコンコースをひたひたと覆い尽くし、そのなかを影絵になった人びとが逃げ惑う。映画に於いて、霧や靄または催涙ガスが充満するというのは、画面のなかに銀幕がもうひとつ発ち現れることを突きつけられる。