『ツィゴイネルワイゼン』をみる

  • 朝起きて、新開地の神戸アートビレッジセンターまで出て、原田芳雄追悼企画の、鈴木清順ツィゴイネルワイゼン』を二〇年ぶりくらいに、みる(しかし本当なら『悲愁物語』のほうがみたかった)。
  • 中学生の時分は、着物を着た女だのジャポニスムだの幻想チックなものが大好きだったので、この映画もそういう興味から好きだったわけだが、今みると、むしろそちらのほうはどうでもいいと云うか、ラッピングされたグロテスクのような、荒木経惟の緊縛写真のようなもので、まるでよいと思わなくなった。無論、大谷直子は活気があり、美しい。むしろ、ガキの頃は、「腐りかけの水蜜桃」のデカダンにばかり心が奪われていて、このぴちぴちとした勢いの素敵さに気がつかなかった。
  • そういうわけで、アラーキーな部分への興味が薄れてしまったので、尺が少し長いのじゃないかとさえ感じたが、原田芳雄のふてぶてしい軟弱さや、藤田敏八の独特の雰囲気には今みても、奇妙に強い魅力がある。
  • また、音は丁寧に作られており、音と映像のズレも面白い(サラサーテの盤を聴きながら、その録音の中の声に就いて、原田と藤田が二度、話をする。最初はレコードの音が流れるなかで、二度目は、同じ情況なのだが、レコードの音は消えて、彼らふたりの話し声だけが私たちに聞える)。
  • 大楠道代がドロリと崩れるように笑って、絵の裏からサラサーテの盤を抜き出して、藤田敏八が彼女の頬を引っ叩いてから、三途の川のへりで童女が手招きするまでの十分ほどは、映画の持っている「あの世」性とでも云うべきものが画面のすみずみにまで噴き出して、その充溢が堪らない快感となる。
  • そのまま実家に出る。帰りに再び元町へ出て、古本屋を覗いてから帰宅する。