『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』、『あまり期待するな』をみる

  • 昼から出かけて同志社大学ニコラス・レイが学生たちと作った『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』と、そのメイキングであるスーザン・レイの『あまり期待するな』をみる。
  • ニコラス・レイの息子の名前はティム・レイだが、『WCGHA』をみて思い出したのはテム・レイで、彼はガンダムを開発した技術者だが頭がおかしくなって、ガンダムパイロットで息子のアムロ・レイに、ガンダムの戦闘力が数倍に跳ね上がる最新の回路と称するものを手渡すが、それは役立たずの機械で、最後はアパートの階段から転げ落ちて死んでしまうというひとだ。『WCGHA』には素晴らしく鮮やかなショットがたびたびあるし、映画とは、こんなに必死になって壊そうとしても映画であり続けることに驚きを覚える(そしてニコラス・レイにはそれこそが堪らなかっただろうことも)。しかし『WCGHA』を、盛んな自由を謳歌しているフィルムであると呼ぶことには躊躇いがある。やはりこれは、自由でなければならないというオブセッションが発てる軋みや呻きのようなフィルムなのだ。そして、その常に自由でなければならないという核には、常に若くなければならない、どんなときも若さを肯定し続けなければならないという痛ましさのようなものがあるように感じられる。今、ニコラス・レイの映画をできるかぎり順を追ってみているが、その後こんな苦しい場所に彼は辿りついてしまうのか……。
  • 『あまり期待するな』は主に『WCGHA』の制作に携わった当時の学生たちへのインタヴュから構成されている。彼らの前に偉大な父として登場したニコラス・レイは、やがて独善的なアル中の爺さんに変貌してゆくわけだが、それを彼は総て学生たちにみせたわけで、教師としてのニコラス・レイも偉大だったということができるだろう。反面教師という言葉があるが、それ以外のよい教師などそもそも可能なのだろうか? ウォルター・マーチも出てきて、コッポラがニコラス・レイのために編集室を貸したこと、そして試写で『WCGHA』をみて、ポンコツであると断言したことなどを話す。そしてそれはまったく正しい。しかし、だからと云ってこれが映画としてダメだとは思わない。
  • 会場でミタムラ君と遭遇する。