『名前のない男』をみる。

  • 昼から出かけて、十三の第七藝術劇場王兵の『名前のない男』をみる。
  • オープニングで映る、土の中に朽ちてゆこうとしているど田舎の風景を捉えるキャメラの距離感が、「暴虐工廠」での工場の外で何か判らない機械がギッコンギッコン動くのを捉えるそれとまったく同じで、ぎょっとする。
  • 地面を掘った穴のなかからおっさんが出てくる。おっさんはまだ雪の残るど田舎の風景のなかを歩き続ける。丸めた背中には大きな袋を背負っていて、やがて、畑だか野原だか判らない地面で、袋の中身を空けると、それは土で、おっさんは持ってきた土を地面の上で踏み固めるのだが、地面の土とおっさんが持ってきた土の何が違うのか、判らない。おっさんはまた歩き出して、道路の上に落ちている家畜の糞を、最初はスコップで、やがて素手でどんどん掴んで、背中のずた袋に入れると、また歩き出す。おっさん以外の人間が映るのは、この映画のなかでは、画面の端におっさんの後ろからついてゆくキャメラを持った人影(たぶん王兵なのだろう)を除くと、たったいちどだけで、自転車に乗ったおばさんが、さーっと画面を横切ってゆく。或いは時折、遠くを走る電車の音が聴こえたり、トラックが走っているのが映ったりするので、この映画が世界が終わった後を描くSFではないのが辛うじて判る。
  • 穴の中に設えた竈の上の鉄鍋で、じぶんの唾やら野菜の切れっ端やら麺だか何だか判らないものを煮込んで、おっさんは旺盛な食欲で、その何か判らないものを食べる。兎に角、おっさんが何をしているのか、まったく判らないのだ。しかしやがて、おっさんが玉蜀黍やら瓜を育てていたのが判る。そうか、彼は農業をしていたのかと判ったときの私の裡で生じた安堵は、じぶんでも可笑しいくらいだった。おっさんは瓜をふたつみっつもいで、穴倉へ戻る。このとき、おっさんが初めて何かを喋る。字幕はないので何を云っているか判らないが、瓜の表面についた土をボロギレで拭って落としながら、何かおっさんが喋る。どうやらおっさんはちょっと昂揚しているようでもある。おっさんは瓜を鋏で細かく切って、鍋の上へ落してゆく。穴倉の中を蝿が飛び回る音がすさまじい。
  • おっさんが農業していることがわかったとき、私がぼんやりと期待したのは、おっさんが収穫物をだれかに売りに行くことだった。ところが、おっさんはそんなことをしないのである。じぶんで育てて、じぶんで食うのである。おっさんがやっているのはもう農業ではない。しかし、それが農業でなくても、おっさんのやっていることが労働であるとするなら、私たちのよく知っているこれ以外のあらゆる労働は総て詐欺か、それにとてもよく似たものでしかないと、ぼんやり考えた。
  • 鳳鳴』のオープニングにもあったが、王兵は、歩いているひとの後姿を、後ろからちょっと離れてついていきながら撮るのがとても好きなようである。
  • そのままアルバイトに行く。帰宅して柚子が作ってくれたラーメンを食べる。今夜もとても寒い。