• 朝、柚子に起されて、奈良の三輪山大神神社まで、電車を乗り継いでゆく。ぴりっと寒い。
  • 拝殿へ上がってゆく木立のなかの参道が美しい。参拝して、おみくじを引いてから、狭井神社にも参る。手水舎と池の間に、『奔馬』の取材でやってきた折のものらしい三島由紀夫の筆による「清明」の碑があり、それと参道を挟んだ山際には、美智子皇后の皇太子妃の頃の歌碑がある。そう云えば三島は美智子妃とお見合いをしたことがあったと述べていたのを思い出す。
  • 柚子と茶店でうどんを食べる。店の中には、白の混じったキジトラの牝猫がいて、座敷に置かれた火鉢のへりにぴったりと脇腹をくっつけて、暖をとっているのがとても愛らしかった。
  • 夜、精神分析概論の読書会。ブルース・フィンク『ラカン精神分析入門』の註釈に、「固定した指示子である名前は、厳密に云えば、欲望ではなく要求しか満足させることができないのである」の一文をみつけて、思わず、我が意を得たりと強く思う。魔法使いの呪文は要求を満たすことしかできない。私たちの使う言葉は、魔法使いの呪文のような働きをすることはできないが、しかしそれだからこそ欲望(とは問いである)を作動させ続けることができるのである。