• 仕事の帰りに、西崎憲の編訳の『ヘミングウェイ短篇集』を読み終える。翻訳はもちろんだが(特に「清潔で明るい場所」が、まったく素晴らしい)、短篇の選択とその収録順がとてもいい。
  • 少し帰路から足を延ばして、行ったことのない古本屋にゆく。特に欲しいものはなかったのだが、その近くにあるのをみつけたもう一軒の古本屋は、タバコ屋を兼ねた小さな店で、棚も漫画と文庫が殆どで、あとは少し前のエロ雑誌くらいで全然大したことがないのだが、街角の隙間をとりあえず埋めているようなこういう古本屋は最近本当に少なくなった(好んで古本屋をほっつきまわるような輩にとっては品揃えが貧しいので、なくなっても、ちょっと感傷的な気分にはなるが、それをとても惜しむというようなひとも殆どいないだろう)。
  • 中野好夫の訳でディケンズの『二都物語』を読み始める。まるで講談のようで愉しい。
  • さらに数軒、古本屋を覗いてから帰る。これまでどおりの値段と、PCをちらちら覗いてつけたのが判る値段が混在している。ネットで検索して、amazonマーケットプレイスあたりをひとつの基準にしてつける値段は、店舗を構えて営業している古本屋をいづれ消滅させるだろう。それはとても簡単なことで、ネットと店の値段にズレがなくなるのなら、わざわざ出かける必要はなくなるからだ。それぞれの店の値段のつけ癖とだいたいの相場のようなものを体得して、その格差を求めてふらふらと古本屋を経巡るというようなことをする必要はなくなる。もちろんこんなことができるのは私がずっと街暮らしだからであり、こんな遊びをすることができないひとのほうが多いのだから、おまえのつまらぬ遊びが消えてしまおうが、おまえだって古本を買えなくなるというわけではないのだから、別に何も困りはしないだろう、というひともいるだろう。しかしそれが消えてなくなってしまうことを、私はとてもつまらないと思っている。