• 朝、仕事へ行く道すがら、殻を破って飛び発たんとしていた昨夜の蝉はどうしているだろうかと思って、或る家の門柱の前で立ちどまってみたが、やはりもう蝉はいなくなっている。門柱のへりには、背中のぱっくり割れた抜け殻だけがへばりついたままになっていた。
  • 元町の病院に寄ってから、そのまま仕事に出る。
  • この頃は佐々木健一の『美学への招待』を読んでいる。じぶんがこれまで(たとえば最近ならテレンス・マリックに就いて論じた小文などで)うんうん唸りながら考えたことというのは、ずっと以前から美学が考えてきた、幾つかの根本的な問題に還元(または圧縮?)されてしまうということを、そんなことはよく判っているつもりだったが、深く鈍く拡がる痛みのように、ずぶりと突きつけられている。『判断力批判』を引っぱりだしてきて、ぱらぱらと眺めたりしながら。
  • 夕食を終えてから、柚子とふたりでハーゲンダッツのバニラとストロベリーのカップを食べる。夕食を始めるときからテーブルの上に出してあったので、縁のほうからてろりと溶けだしていて美味。
  • 柚子が先に眠る。「しま」もどこかで眠っているだろう。自室で独り、先日買った『BUBKA』の八月号をぱらぱら読んでいる。渡辺麻友が総選挙で一位を獲得したあとのスピーチを、台所から顔を出した柚子は、坐ってTVを眺めていた私の背中越しにみつめていた。ふと、私が振り返ると、まっすぐTVに向けられている柚子の双眸に、薄っすら涙が滲んでいる。私は、それを指摘することさえ躊躇われて、なるたけそっと、再びTVの画面のほうへ視線を戻したのだったが、今こうやって思いだしてみても、あのときの柚子の、静かに涙する顔は、どうにも美しかった(もちろんこのことは彼女には云っていない)。だから、どうせ指原の連覇だろうというシニックな読みを裏切った、渡辺麻友の一位はとてもよいことだったと、勝手に私は思っているのだ。