• 蒲団の中に「しま」が潜りこんできて、私の両足の間で眠っている。ちょっと肌寒くなってきた。
  • 昼過ぎ、風呂に入ってキジ・ジョンスンの「ポニー」を読む。些かシラける。「スパー」(と、その絵解きみたいな「シュレディンガーの娼館」は露骨過ぎて小説としてはあまりうまくいっていない)が顕著だけれど、凸と凹のやり取り、またはその非決定性をどうやらこのひとはずっと書いているようである。「噛みつき猫」や「蜜蜂の川の流れる先で」でみられるように、或る種の強いイメージを作るのも下手ではない(クリシェアマルガムであり、こちらの既存の情緒を刺激しているだけ、というふうに捉えることもできる)が、しかし結局、それらへくっつくのが、無垢を喪うことによる少女の痛みや残酷さであるなら、凸と凹の揺らぎとか拮抗の面白さも底が割れている、という気がしてきて、愈々「霧に橋を架ける」を読み始めるが、これもそれなりに面白くないことはなさそうだけど、わざわざ小説で読む必要があるんだろうか……と思い始め拭い去ることもできず本を閉じる。
  • その後、出かけずに、ずっと文字起こしをしている。
  • ふと、晩飯の前に、トマス・ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』を佐藤良明の訳で読み始める。志村正雄訳のほうが好みではあるが、おとなしいキジ・ジョンスンのあとに読むと、やはりとても面白い。夜中に牛乳を買いに行く。柚子が紅茶を淹れてくれる。