• 今朝、からりと明るい気持ちで職場にいるのを感じて、本当に今月はずっと寝ても醒めても『アラザル』のことを考えていたり、しばしば追い詰められていたりしていたのだなと、つくづく思い知らされる。
  • アラザル』九号は実際、第二の創刊だったと思う。そもそも今、私たちが創刊号と呼んでいる黒ザル本は、創刊号ではなくて卒業記念文集だったはずだ。云わば最終号だったわけだ。しかしそれでやめることなんかできるはずがなかった。それで、もっと作ろうと出したのが第二号なわけで、厳密には、むしろこちらのほうが創刊号だったのかもしれない。では今回の第九号が第二の創刊号というのは、私にとってはどういうことであるか。まず、ずっと抱え込んでしまっていた夏田昌和氏のインタヴュをようやく載せることができた(まだ前篇だけであるが)。そして、じぶんでもよく結論が出ていないコラムをぱっと載せてしまったことである。SKE48と撮り始めた写真と潰れまくる古本屋に就いて書いた、他愛もないものだが、私にとっては、よくこんな考えも纏まっておらず、まともな結論も出ていないものを、よくそのままでゴロリと放り出したもんだなと、我ながら呆れるというか感心してしまうというか……。
  • 古本屋で渉猟することと写真を撮るということは私のなかで同じものの別の顕れであると書いた。あれから少し考えて、それはコレクションというところで通底しているというよりも、アクションの相似によって通底しているのではないかと思うようになった。
  • 帰宅して、きのう届いた、年代順に並べられたヴォルフガング・リームのピアノ作品集の一枚目(七〇年代の作品ばかりが入っている)を聴いている。