• 資料を読む合間に、ティモシー・スナイダーの『ブラッドランド』も読んでいる。ソ連とナチの暴力に、二度もあっという間に祖国を蹂躙されてしまった人たちのその後。こういうのが、いちばんうんざりする。その残虐性よりもむしろ、この私も下手すると加担しかねない平凡さに。それがあれだけの残虐に結びついてしまうことに。

戦争がはじまり、独ソの侵攻によって国民国家が次々に崩壊していくと、責任転嫁への誘惑はさらに強まった。エストニア、ラトヴィア、リトアニア、そしてポーランドの人々は、自分たちのために建設された独立国家だけではなく、社会的地位も地方自治体も失った。多くの場合はたいした武力抵抗もできぬままに、これらのものをすべて投げだして降伏していた。それゆえ、ナチスプロパガンダは二重の魅力を持つことになった。ソ連共産主義者に負けたことは恥ではない、なぜなら彼らは、世界規模の強力なユダヤ人陰謀組織の支援を受けていたのだから。しかし結局はユダヤ人が共産主義者だから悪い、彼らを殺すのは正しいことだ、という理屈がまかり通ったのである。(……)
政治的計算やソ連の弾圧だけでは、地元住民がこうしたポグロムに加わった理由は説明できない。ユダヤ人に対する暴力は、現地の非ユダヤ人住民とドイツとの結びつきを強める役割を果たした。ドイツが期待したように、怒りはかつてソ連政権に協力した者ではなく、ユダヤ人に向けられた。ユダヤ人が苦難の元凶だと思っていたかどうかはともかく、ドイツの扇動に乗った人々は、自分たちが新しい支配者を喜ばせていることはわかっていた。彼らの行動はナチスの世界観を追認していたのだ。NKVDによる処刑への報復としてユダヤ人を殺害すれば、ソ連ユダヤ国家だというナチスの考え方を認めたことになる。エストニア、ラトヴィア、リトアニアウクライナベラルーシポーランドソ連に協力してきた地元住民は、ユダヤ人に暴力をふるうことによって汚名返上のチャンスを手にした。ユダヤ人だけが共産主義者に仕えたとする見方は、占領者だけではなく、被占領者の一部にとっても好都合だったのである。
だがソ連の残虐行為があったことをはっきりと示す証拠がなければ、精神のナチ化はこれほどうまくいかなかっただろう。ポグロムが起きたのは、ソ連に占領されてからまだ日の浅い地域だった。ソ連の支配力は定着したばかりで、その前の数ヵ月間には、弾圧機関による組織的な逮捕、処刑、強制移住が繰り返されていた。ポグロムは独ソ両国が共同で引き起こしたようなものだった。ソ連の原案がドイツの文脈に組み込まれた結果だったのである。