ジョルジョ・モランディ展などをみる

  • 朝起きてだーすーのブログをみて、先日の梅本まどかに続いてやはり四期生の山下ゆかりも卒業することを知る。やはりきょうも残念だな、寂しくなるなと思うけれど、去年のリクアワの四期生たちの涙を思い出したりしつつ、そういう時期であり、そういう年齢なのだなあと思う。
  • 京都市立美術館へ行くつもりだったが受付は午後四時までであることを思い出す。このまま行っても門前払い。三宮でいちど電車を降りたら人身事故でいきなりJRが止まる。選択肢がなくなり灘まで出て、兵庫県立美術館でジョルジョ・モランディ展をみる。特に1950年代の作品が素晴らしい。どの画面も決して大きくないので、ぐっと寄ってみつめる。そのまま後ろへさがりながらみつめ続けてゆくと、2mほどさがったところで、パッと画面のなかの光の具合が変る。画面全体に充ちていた光が、たとえば赤っぽい矩形の面だったりクッキー缶のようなかたちの白い側面に、すっと集まって射し込んで、その部分の鮮やかさがくっきりと際立つというふうになる。おなじようなものが並んでいる画面でも、遠さ近さの距離が生みだすこの企みが鮮やかなものもあれば、そもそもそのような効果を狙っていないものもある。しかし、やはり驚きがあるもののほうが面白くみえる。かたちに対する画家の視座は、ドローイングや版画もよく展示されており、それらから強く窺うことができた。
  • 併設の谷中安規展も佐藤春夫の『FOU』の挿画装幀なども含めてかなりの点数が出ている。いわゆるエロ・グロ・ナンセンスふうの時期よりも、むちむちと生の充溢した後期の作風のほうに惹かれる。さらに、県美の版画のコレクションをずいぶん出していて、名古屋でよくみる恩地考四郎などもある。マックス・クリンガーがとても好きである。
  • 大阪へ出てギャラリーヤマグチで「五十嵐彰雄:削られた絵画」展をみて、1992年のドナルド・ジャッド展の図録を購入する。それから若狭ビルを順に昇ってそれぞれのギャラリーの展示を眺める。SAIギャラリーの冬木遼太郎展が好みだった。コの字型のギャラリーの壁面たっぷりに、鏡を使って成された展示には、一箇所だけその鏡をみている私が映らないで済む場所が設けられている。これをどうみるか。
  • そのまま堂島のジュンク堂へ歩いてゆき、帰路に。