• たとえば、いつまで七〇年代のアートとか云ってるんだよ(嘲笑)みたいな連中が、その賢しらぶりのわりに、ちっとも判っていないのは、ケージだのグリーンバーグだの、そういったモダニズムのオールドマスターたちの提起した問題は、たった三〇年とか四〇年ぐらいの短いあいだに、あらゆるもつれをすっかり解消してすっきりできるような、簡単なものではないということだ。問題が提起されたときにスタンプされた時刻の古さより、その問いの射程がどれだけ広く深いものだったのかが、重要なのである。
  • こんなことを思うのは、私がすっかり中年になってしまったからなのだろうけれど、一瞬であっという間に変ってしまうものもあれば、五〇年とか百年ぐらいの時間では、何も変えることができないこともあるのだということは、判るようになった。どうしようもないじぶんの癖のあれこれを考えれば、判りそうなものだが、冷笑家の彼らの鏡に映る自画像は、その実際の年齢とは違って、いつまで経っても若者のままなのだろう。