• 『ゲルマントの方』を蒲団でだらだらと読んでいる。じぶんのブログを遡るなら、2008年ごろ読み始めて、翌年も少しだけ読んでそのままにしていて(たしかサン=ルーの駐屯地を訪ねるあたりだ)、2016年に再びほんの少しだけ読み進めたことが判るプルーストの『ゲルマントの方』を、今年の五月ごろからまた読み始めて、それはときどき定期的にかならずやってくる「プルーストでも読もうか」のときだったのだろうと思うが、再開したのは、ちょうど語り手の「私」がサン=ルーと、彼が溺愛している愛人のもとを郊外まで訪ねるというところで、サン=ルーに紹介されてこの女と初めて会ったとき、「私」は数年前にこの女を娼家で買ったことがあるのを思い出して、しかも内心「えー?! この子が20フランなの?」と思ったのだったというとてもえげつないシークェンスだった。それと同時に、庭の梨や桜の木を飾る真白な花の美しさについての想いとが、ときどき絡み合いながら並行して迸るのを読んで、何て残酷な克明さの小説なんだと感じたことから、また読み進めようになった。とは云え、ほかの本も読みながらなので『ゲルマントの方』だけを読んでいたわけではないが、とにかく合間に、ずっと読み続けてきた。プラハへ短い旅行をした折は、けっきょく毎晩、どこにも行かずにホテルのベッドでこれを読んでいた。『ゲルマントの方』へのなかでは、不気味な電話の声の挿話が妙に印象に残る「私」の祖母が亡くなるシーンは、プラハ中央駅の地下鉄のプラットフォームで読んだのだった。
  • さて、ゲルマント公爵夫人の晩餐会に呼ばれたときのことが、何百ページも続いてようやく終わり、その夜、興奮した「私」がシャルリュス氏の邸宅を訊ねるのだが、シャルリュス氏にねちねちと因縁をつけられて激怒して、シャルリュス氏のシルクハットを八つ裂きにする(「男爵の真新しいシルクハットにとびかかると、シャルリュス氏がたえずどなりちらすのに耳もかさず、それを床に叩きつけ、踏みつけて、懸命になってそれをずたずたにし、裏の布を引きはがして、冠のように高くなった部分を引きちぎった」とあるのだが、これはヴィルパリジ夫人のサロンで「私」を追いかけてきたシャルリュス氏が手にとる「裏にGの字と公爵冠のついた帽子」とおなじものだろうか?)挿話を晩餐のデザートのようにつけくわえたあと、プルーストが持ってくるのは、「私」の従僕が田舎の従兄に宛てて書いた手紙である。「僕は元気です。そちらの皆さんはお元気ですか?」といったような手紙の間に、あちこちの詩集からめちゃくちゃに引用してきたキメ台詞みたいなものがいっぱいに嵌め込んである。「私」の語りとはまったく途切れて、ページの間に挟まっている他人の髪の毛のような、不気味なコラージュのようなものが、ごろんと投げ出してあるのだ。晩餐会でやりとりされる公爵夫人の「才気」あふれる会話と、このつぎはぎだらけの手紙が、おなじ虚しさでできていることをプルーストは曝露しているのだろうが、それにしても気持ちが悪い手紙なのである。この不気味な裂け目を、いっさいの饒舌なしに投げ出して提示するプルーストが、「私」とおなじ場所にいるわけがない。これはものすごいものを読んだ。
  • 夕方から出かけてまず梅田。いよいよカメラを買おうと思うが、欲しいカメラはカネも信用もないので買えない。紀伊國屋で、たぶんバレリーナをめざす少女たちが読んでいるのだろう『クララ』という雑誌の一月号に須田亜香里のコメントが載ってて、ちゃんと人気のダンサーとして紹介されているのに、妙に感激する。
  • 清水五条を降りたら雨が降ってくる。五年もほぼ毎日通ったけれど、けっきょくこちらが心を開けなかったからだと思うけれど、そのせいで今でも、京都という街には拒まれていると思う。私の通った学校は地下鉄の駅と地下通路で結ばれているのだが、もう卒業してずいぶん経ってから、たまたま仕事で近くにゆくことがあり、この地下通路を駅へ向かって歩いたことがあった。そのとき、じぶんはいつもここを足早に通り過ぎていたことを思い出した。あれは電車に間に合わないからとかじゃなくて、逃げ出していたんだというのが判って、じんわりと、しかし、けっこう深々としたショックを受けたことがあった。京都が悪いわけではないが、好きか嫌いかで云えば、間違いなく大嫌いなところだ。
  • HAPSで、石川卓磨の《ベルイマンのためのレッスン》という映像作品をみる。硝子戸越しに、二面の壁に映された五分ほどの映像を眺める。ベルイマンの『ペルソナ』に現われる動作を、石川が台本に起して、これを『ペルソナ』をみていないダンサーに伝えて演じてもらう。そのさまを高速の連続写真で撮り、おびただしい写真を映像にしたというものである。
  • 『ペルソナ』を先日DVDでみたときに思ったのは、写真とは何と容易く映画になってしまうのか、ということだった。有名な、ナチに家を追い立てられるユダヤ人の少年の写真がクローズアップで、切り取られ、モンタージュされると、その一枚の写真はすぐに映画になってしまう。もちろん、映画とはそもそも、写真を高速に連続させることによって、私たちが勝手に見てしまう運動なのであり、そこにはいつだって写真しかない、ということも云えるのだけれども。やがて、壁の映像がふたつとも終わる。そのほんの僅かな瞬間、真暗になり、ギャラリーの前に建っている街灯つきの電柱が、硝子戸をスクリーンにして映りこむ。雨を軒下で避けながら、しかし深々と底冷えする街角で考えていたのはつまり、ジャンプカットというのは映画が不意撃ちをくらったように、一瞬だけ写真に戻ってしまう瞬間なのではないかということだった。或いは、写真はジャンプすることができるのか?という問いを立てることが果たして可能か、ということだった。