• この頃ときどき、部屋を片付けようと思う。服を棄て、古いヴィデオテープを棄て、もうそれについて書きもせず参照もせず読みもしないだろう本を棄てようと思う。しかし、数日おきに古本屋から本が届く。古いヌーヴェル・クリティックの本だったり、写真集だったり(正方形の段ボールの箱で、フィリップ=ロルカ・ディコルシアの『THOUSAND』が届いたら、本当に真っ白で四角い塊みたいな本だった。柚子に見せると、「また重そうな本ね」)、ホロコーストについての本や、俄かに興味が沸いたジョイスの『ユリシーズ』がらみの本だったり、ごくまれに、ちょっと興味のある経済とか社会の本なども、ずるずると届く。本とCDの隙間に坐って、これを書いている。こんなもの書かずに、読めばいいのに。薄っぺらい本ならすぐ読めるだろうと、イワン・クラステフのCOVID-19についてのエッセイを読む。すると、フランク・ナイトの『危険・不確実性および利潤』についての記述があり、とても読みたく(本が欲しく)なって検索すると、何ともタイミングよく、来月『リスク、不確実性、利潤』というタイトルで新訳が出ることが判る。タワーレコードのクーポンがあったのですぐに注文する。
  • ブニュエルの『皆殺しの天使』にもそう言えばマイクがばっちり映りこんでいたなと思いつつ、蓮實重彦の『webちくま』のエッセイがつまらなくて困る。厄介でふてぶてしい爺ィをやりたいんだろうが、「もうお爺ちゃんたらほんとお茶目」って言ってほしがっているのがあからさますぎる。そのあからさますぎるところが戦略なんだと言われたら、ハスミンお好きなんですねと返すしかない。尤も、「無意識であろうが意識的であろうが、男性が蔑視されることには何の心の痛みも感じることがない」なんてフレーズには痺れる私も、それなりにお好きなんだろうけれども。