• どぶ川の上で写真を撮っているとカメラキャップを落としてしまって、コロコロ、どぼん。すぅーっと流れされていった。
  • 写真を撮っているのは、少なくとも私にとっては、それがスリーコードだけのパンクだからだ。
  • 神戸映画資料館フレデリック・ワイズマンの『ミサイル』と『チチカット・フォーリーズ』を見る。
  • 『ミサイル』は、間抜けなBGMが流れるカラオケボックスみたいな実習室の廊下(個室の上の赤ランプ)と、講義棟を外から捉える繋ぎのショットがとても好きだった。『軍事演習』とか『シナイ半島監視団』とかワイズマンの撮る戦争映画が大好きである。チャレンジャー号の爆発事故で亡くなった宇宙飛行士の葬儀で終わるかと思ったら、戦略航空軍団司令官のラリー・D・ウェルチ(たぶん)による、ソ連で核抑止に従事している彼らの「分身」に思いを馳せるスピーチで終わる。冷戦下のワイズマンはソ連にいるみずからのダブルのことを思っただろうか?(或いは、そいつは決していないだろうからワイズマンはアメリカを寿ぐのか)。
  • 『チチカット・フォーリーズ』は、パリでストリップティーズのショウを撮っても、ワイズマンのフィルモグラフィの先頭にはこの狂ったミュージカル映画があるのだと思うと、暗い笑いが込み上げてくる。この映画には、バロウズの小説のような独白の奔流が止まらないタオルの男、ブダペスト出身の医師に自分は狂っていないと掻き口説く青年の声に重なる激しい汽笛、怒れるジムの監房の肉のタップダンス、TVの中のメガネの女性歌手と《チャイナタウン、マイ・チャイナタウン》を一緒に歌う男(本当に美しいサウンドとショット)と、しばしばパワーエレクトロニクス系のノイズに接近するような音楽で溢れている。ワイズマンの映画は、映像とサウンドのどちらかが欠けていても成立しない。つまりミュージカル映画だ。
  • スピノザの世界』、今度は「人間」の章を読み返す。大笑いしてしまう。何という清々しさ。