• ゴミ袋を作りながら戦場になったウクライナのどこかの街の映像がTVのモニタに映っているのを見ている。スピルバーグの『宇宙戦争』と初期アンゲロプロスから甚大な影響を受けたようなルックの映像には、灰色の空を背景にひょろ長く冬枯れている街路樹の下を、ショッピングカートや、キャスター付きのオフィス椅子に載せられる限りの物を載せて、スーパーマーケットから帰ってくる人たちが動いている。チェチェンやシリアでプーチンのロシアは味を占めたからこうなったのだ、もっと関心を持つべきだったのだ、というのは、そのとおりだろう。
  • 机の上を蟻が這っているのを久しぶりに見る。潰してしまう。ここにも春だ。
  • 洗濯物を干して、夕方から出かけてシネ・リーブル神戸でアピチャッポン・ウィーラセタクンの『メモリア』を見る。映画館の中に坐っている私の身体が作り込まれたサウンドでむずむずするのをはっきりと感じる。サヨムプー・ムックディプロームのカメラも冴えている。もちろん『未知との遭遇』や『メッセージ』や『コンタクト』なんかも思い出しながら、昨日の夜ぼーっと聴いていたギャヴィン・ブライヤーズの最初の《Jesus' Blood Never Failed Me Yet》も頭の中で聴いていた。