• 昼前から出かけてシネ・リーブル神戸でレオス・カラックスの『アネット』を見る。そもそも馬の首を被っているみたいな主演俳優をそれほどいいと思えないので困ってしまうのだが、しかしキャロリーヌ・シャンプティエのカメラはとてもいいし、『ホーリー・モーターズ』のアコーディオン弾きたちの行進を思わせるオープニングとエンディングは最高だし、「アメリカ映画」を徹底してやってやろうという気概も、最後の部屋で繰り広げられる二重唱の美しさと残酷さには惚れ惚れするのだが、カラックスの退屈さに痺れるのでなく、ただ退屈だとはっきり思ってしまったのは初めてなので、困惑している。クルーゲの映画のように、何度も死ぬのに何度もお辞儀をするからオペラは最高なのに、と私が思っているからかもしれないが、私にとってカラックスもまた、いつだって最高なのではなかったのか。心から絶賛している人々の列に加わりたかったが、また見れば変わるだろうか。もう普通に映画を撮ることができなくなったという苦しみがカラックスにはあるのだろうが、普通に撮ればいいじゃないかと思う。やはりシャンプティエのカメラで撮った2014年の「Gradiva」GRADIVA - New short film by LEOS CARAX - YouTubeのように撮ればいいのに、と思ってしまうが、2分の短篇と2時間の長篇はやはり呼吸感が違うだろうし、つまり、今回いちばん困惑したのは、カラックスの映画に固有の呼吸(或いは呼吸困難)感が、これまでとまるで変わってしまったと感じたからだろう。