• 夕方から出かける。久しぶりに入った元町の古本屋でニック・ワプリントンの『Truth or Consequences』とか『映画理論集成』が安かったので買ってから、シネ・リーブル神戸でマイク・ミルズの『カモンカモン』を見る。撮影はロビー・ライアン。この映画もモノクロームで撮られている(映画の終わりの献辞のワンカットだけがカラーになる)。モーツァルトの《レクイエム》が大きな音で流れて、偶然だけど驚いた。音の作り込みがとても丁寧な映画だった。
  • しかし、どうして皆こぞってモノクロで今を撮るのだろう。昔の映画はその時代の今をモノクロで撮っていたではないか。それと同じことを敢えてやっているだけなのか。それにしても理由があるはずだ。今わざわざモノクロを選ぶのはむしろ、今を撮りながら今らしさを脱色するためだろう。『パリ13区』も『カモンカモン』も、単なる今ではなくて、宙づりされた特別な時間を描いているのだが、色を剥ぎ取られることで、そのモラトリアムはむしろ永遠性を帯びる。
  • 鋭敏な作家たちは、カラーで今を撮るということのきつさを感じているのだろう。カラーで撮るとは、無数の色が纏いついている今がずっと続いてゆく今を、偶然の始まりと終わりでフレーミングすることである。ふと、私もモノクロで写真を撮ってみようかと思うが、デジタルカメラで撮るモノクロというのは、アプリの操作でしかない。