• 私の批評を読んだ或る仏文学者から「何であなたがこれを書いたのか、その動機が判らない」という感想をもらう。批評にそんなものがいるだろうか。私の動機が何であろうが、或る作品の表面に何がしかの徴があり、それは斯くの次第で、このように読める、という報告が巧く記されていれば、それは「私」の批評であり、その対象が文芸であるなら、文芸批評だろう。この御仁は、文芸批評というのは、文で私を語る芸だと思っておられるのだろう。くだらない。私なんかどうでもいいのだ。私の目玉が作品の肝を見抜いて、その報告を文として定着できてさえいれば。