• 久しぶりに九条まで出てシネ・ヌーヴォシャンタル・アケルマンの『街をぶっ飛ばせ』と『家からの手紙』の二本立てを見る。アケルマンの映画は自爆というか内破的な終わり方をすることが多いように思う。最初の短篇である『街をぶっ飛ばせ』から既にそうだったし、『ゴールデン・エイティーズ』も地下でずっと籠っていたカメラはパリの街中に飛び出して、いきなりドキュメンタリのようになって終わった(とても素晴らしかった)。そして、『家からの手紙』が最高だった。1976年のこの映画は、ウィノグランドとかニューカラーの写真家がニューヨークの街角でスナップショットを撮っているその視界に入り込んでいるかのような画面がずっと続く。地下鉄の中の乗客が持っている花束の包み紙が気になってきたり、写真を撮るような気分になってくる。雑踏のサウンド以外は、アケルマンがブリュッセルからの母親の手紙を読む声が映像に被さる。シャンタルは母から何度「写真を送って」と言われても送ってあげない(手紙に同封した20ドルが届いたかどうかも教えてあげない)ようなので、これは母に写真を送らない代わりにスナップショットを撮るように映像を撮っている映画なのかと思いながら見ていたら、「写真送ってくれてありがとう」という手紙が読み上げられて、組み立てが、ずるっと崩れる。母からの手紙が届いて、ニューヨークの雑踏がある限り、幾らでも続けられるだろうこの映画は、どうやって終わらせるのだろうと思いながら見ていると、カメラは船に乗る。おそらく観光船だろう。どんどんどんどん沖に出て視界は煙ぶり、ニューヨーク島の遠景は、ほとんどモノクロの灰色の残像のようになってくる。画面の隅にはWTCが見えていて、双子の塔の手前で、カモメが不吉な叫びを上げながら飛んでいる。これは9.11よりずっと以前の映画なのだが、WTCが灰色の雲の中に自壊してゆくのを知っている眼で画面を眺めていると、これも「街をぶっ飛ばせ」じゃないか。なんて二本立てだ、と思ったところで、やはり終った。また見たい映画だった。