- シネマ神戸でジョン・カサヴェテスの『こわれゆく女』を見る。冒頭からはっとするような美しいショットが何度も現れるので、じっと見つめてしまうが、むしろ映画は夫によって「こわされゆく女」だった。これは夫婦の極限の愛の映画ではなくて、作為症の夫の「影響を受けている(under the Influence)」せいで狂気の沼に沈められる妻の映画だろう。退院してきた妻に夫が、まるで舞台袖のような階段の暗がりに引っ張り込んで「自由にせよ」と迫るのは「他人の眼があるんだから狂気の妻を演れ」の意味である。しかし、バレエの真似をするときのしなやかな指や子供たちと遊んでいるときの妻は、おそらくその瞬間だけ夫の指図から逃れており、とても儚く美しい。俳優たちの芝居は最高だし、カメラもいいのだが、カサヴェテスはこの胸糞悪さにおいて、ラース・フォン・トリアーに酷似しているというのが実際のところではないか。
- fromis_9の『Supersonic』を引き取ってくる。洗濯機を回す。「しま」の身体を拭く。