• 朝からゴミを捨てに行き、近所のおばさんから柿の種とビールをもらう。ドホナーニの箱からブルックナーの《3番》を出して聴いている。大袈裟ではないが立派な演奏。たとえば、第二楽章の終わりあたりの集中して奏でられる弱音の織り目が緻密で美しい。第三楽章の上品な弾み方も好ましい。同じ曲をいろんな演奏で聴くのは、やはりとても好きな型が既にあり、「もっと、もっと」と思っているからなので、こちらの耳が頑なだと、それと衝突するところが多いと、短絡的に駄目な演奏だと思ってしまう。なぜぶつかるのかを考えると、別の何かを際立たせたいのだなと、判ってくることもある。あちらの演奏では印象に残らなかった箇所が、こちらの演奏ではとても耳を引っ張られるというようなことがよくあるのは、そういうことだろう。ただ聴くというのは難しい。