- 夜間開館の神戸市立博物館でデ・キリコ展をようやく見る。1920年代のシュルレアリスムと閉所恐怖症の時代の画業が最も面白かった。1917年頃までの「形而上的絵画」と60年代以降の「新形而上的絵画」の最大の違いは空間の広がりで、後者はたとえ室内であっても窓は大きく、その枠の外もくっきりと明るく、壁のような感じがまるでない。1925年の《機械人形》にも一見すると、大きな二枚の窓の向こうに青空の下の雲や市街が広がっているが、よく見るとそれは壁の手前に重ねて置かれた二枚の絵である。そのさらに手間には、室内の調度品も人間も総て巻き込んで融合してしまった塊が据えられている。カンヴァスに対しての塗りの厚みや筆痕の勢いなどを含め、この画はとても気に入った。あとは、やはり行き止まりの壁としての人物の胸が、社会の総てを吸収している「考古学者」のシリーズや、そして特に《緑の雨戸のある家》や《運命の春》などの部屋の隅で展開する絵が非常によかった。1930年代の仕事であるコクトーの本のためのリトグラフの連作もよかった。第二次大戦以降は、過去の作品を、広い空間に再配置する展開となり、この傾向の一環としてあるだろう彫刻の制作も、画面の中に押し込められている絵に描かれた彫刻ほどの面白さはほとんどなかった。スーパーで6枚切りのパンを買って帰る。