- 雨。だが内見に行かねばならぬ。雨の中を柚子と隣駅の町まで。スマホを忘れてきてしまう。相当に年季の入った家。オクドサンの札が台所の柱に貼ってある。「危ないお札とかじゃないですから」と不動産屋が笑う。巨大な出窓とカウンターがある不思議な家で、ここでギャラリーでもやろうかとふと思う。「幾らでも手を入れてくれていいですよ」と不動産屋が言うが、カネがあればなあ。勝手口を開けると、すぐ脇に、魚の生簀みたいな発泡スチロールの箱の中に毛布が入れてあるのが煉瓦で固定されていて、明らかに猫の家のようだった。丸々と太った黒猫が二匹、近所で雨宿りをしていた。猫がいるのはいい町だが、さすがにここに住むのは難しいか。
- いちど家に戻って、昼からまた内見。「あまり状態がよくない家ですが」と不動産屋は言うが、さっきすごいのを見てきたので、トイレが壊れている以外は、このまま暮らせそうな気がする。「一つの尺度として見てもらえれば」と言う。駅前まで車で送ってもらう。「あの近所の他の物件また送りますね」とのこと。ぎりぎり間に合いそうなので、柚子と改札の前で別れて新長田まで出て、神戸映画資料館で筒井武文の「ドキュメンタリー映画史」講義の第五回を聴く。今回は羽仁進の映画。『生活と水』はたかだか70年前の日本だが、その不衛生ぶりに、こんなところでは暮らせないと思った。『生活と水』は普通のドキュメンタリー映画のナレーションの語りで進み、次の『絵を描く子どもたち』は映画に出てくる図画の先生の語りになっている。『海は生きている』になると、ドキュメンタリー映画かと思って油断していると、いきなり研究室の奥からぬっと東野英治郎が海洋学者の重鎮として出てくる(少年の声は黒柳徹子だったのか)。『手をつなぐ子ら』は河内弁の子供たちの口舌の勢いの速さと鋭さが凄い。おそらくB&Bなどと年の近い彼らが大きくなったらそりゃ漫才ブームが来るわと思った。長野重一のカメラも、武満徹の映画音楽もいい。