- 図書館で借りてきた映画本の編集者のエッセイ集を帰りの電車の中で読む。取り上げられているエピソードや人物や書物は大変興味深いのだけれど、常に「私」が前に出てきてうるさい。「私」の知っていることには興味があるが「私」に興味があるわけではない。しかし「私」を知ってほしいから書かれている文章。無縁でありたいが、難しいものだと思う。
- 身辺の変化のせいにして遅々として進まぬことをそういうものだと思いなしてきたが、これはいっときに比べて「大島成分」が足りていないためなのではないかと考えて、夕食のあとに『白昼の通り魔』を途中まで見る。冒頭からの約15分間で、一気に映画の中にこちらを引っ張り込む力が、大島の映画はどれも本当に強い。