• 少し早く職場を出て、駅でネクタイを真黒のものに結び変えて、京都駅前の葬儀場まで。最初に見たN・Aさんの個展で、シーツが小さな波のように重なった絵を買った。Nさんはシーツや建物の壁など、とても具体的で、或る広がりと輝きを保ってそこにあること自体が、ほとんど気にもされないようなものを、見事な技量で描き続けた。その画面は、一見すると抽象にしか見えないが、きわめて具体的なものを描いていて、抽象か具象かそんなことを乗り越えて、眼で見て、手で筆を握って絵具で描くという行為の積み重ねである、絵画の可能性への深い信頼で満たされていた。それはもちろん隘路だが、きわめてシステマティックでもあり、その難しく険しい道を、しかし楽しげに着々と進んでゆくNさんの画業は、主に西天満のギャラリーで毎冬開かれる個展で、いつも確かめることができた。まだ33歳だったそうだ。式場の壁には最後の個展で出されていた大きな絵がかけられていて、チョコレート色の闇の中で輝く映画のスクリーンを描いたもののようにもみえるそれを、私はギャラリーと、半分野外のような場所での展示と、葬儀場で三度見ることになったのだが、こんなところで見ても、それはとてもいいものだった。式場には、Nさんの家族写真や、赤い表紙の小さな画帳なども展示されていて、掌サイズのそれを繰っていたら、部屋のシーツかカーテンだろうものを描いたページが幾つかあって、まだ白紙のページを残して、そこで終わっていた。カーテンが描かれたページの隅を見ると、鉛筆で先月の日付が記されていた。おそらくN・Aさんが最後に描かれただろう絵がこれなのだろう。病室で描かれたものだろうか。こんなにもきちんと画家としてのストーリーを締め括らないでいいのに、そうするにはあなたは早すぎると思うと、とてつもなく悲しくなった。やはり弔問に訪れていたkanoさんと少し言葉を交わして、外に出る。Sak君に出てきてらって、フードコートでインド料理の夕食をとって、駅前でお茶を呑みながら、近況などを聞きながら、話をする。とてもありがたい。