ゆけゆけ二度目の『ベルばら』、2TBの新境地

  • 朝から柚子と宝塚へ。もちろん『ベルサイユのばら オスカル篇』*1。今日のアンドレ水夏希朝海ひかるのオスカルのお尻が、か、可愛すぎる。
  • そのまま宝塚から大阪に出て、恵美須町の「まるじゅー」に。味噌ラーメンの半チャンセットを食べる。柚子も味噌ラーメンを選ぶ。ああああっ、やっぱり此処のラーメンは私の舌に最高にぴったりだ。ちょっと甘い*2特濃スープとトロトロのチャーシューが堪らない。
  • 弟と落ち合って実家への土産に「萩の月」を渡してから、in→dependent theatre 2nd*3にて、シアターシンクタンク万化*4の『エバーグリーンOn Line --Some where but no here--』を三人で観る。
  • 燃焼度が高くて、とてもポジティヴな、力強い舞台だった。
  • 演劇でしか表現できないことをド直球で表現していて、痺れる舞台だった。
  • 役者たちは素晴らしく、美浜源八氏の脚本は、これまでの殻をぶち破って、新しいステージに大きな一歩を踏み出していた。
  • 美浜氏の脚本で、此処までナマっぽい男女の性愛のさまや、会社勤めの人びとなどの現代が描写されたのは、たぶん初めてだ。基本的にジュブナイルとモラトリアムに橋頭堡を確保している劇作家であり、含羞のひとである美浜氏がそういうものを書いたのは、そういうものを書くことの積み重ねでしか掴み取ることができないものを表現しようとしたからで、役者陣のレヴェルの高い好演も相俟って、それは見事に表現されていた。
  • では、美浜氏が表現しようとしたそれは何だったのかと云えば、大人(以下、総て「親」と読み替えても良い)になったことを身も蓋もなく引き受ける、と云うことだ。これまでの美浜氏の脚本の多くが、その手前で立ち止まっていた。逡巡していた、と云うべきか。
  • 成るほど、「大人になるぞ」と決意する芝居は以前にもあった。或いは、既に大人になっている登場人物が、主人公の少年や青年たちに向けて、大人の背中を見せることはあった。だが、ひき返す術なく大人になったことを引き受け、その地点からさらに先に向けて出発する芝居は初めてで、その姿勢には強い感動を与えられた。
  • 子供が、選択権を与えられず、いつの間にかこの世界の真っ只中に投げ込まれていたじぶんを発見するように、大人もまたいつか、いつの間にか大人になってしまっているじぶんを発見するものだ。だからこそ、既に大人になってしまっていても、そのことがうまく掴めずに悩んだり愚痴ったりする。この演劇で美浜氏は、誰もがすっかり忘れてしまっている、モラトリアムを脱し、大人になった過程をつぶさにキャッチし、大人になったことは決して悪いもんじゃないヨと、鮮やかに提示してみせる。
  • 生まれて初めて演劇をナマで観て、ずいぶん衝撃を受けたらしい弟と別れ(彼は自転車で帰るのだ)、柚子と帰路。
  • 久しぶりに2TBの良さと底力が存分に発揮された、見事な舞台を見たねぇと話す。
  • ちなみに、待望の次回作は『MAMAZOMBIE --ママがゾンビになっちゃった。--』だ、そーです(苦笑)。

*1:http://kageki.hankyu.co.jp/revue/05/05snow/index.html

*2:私は単純に「旨い」だと思っていたのだが、柚子曰く、その「旨い」の正体は「甘い」である、と。そう云えば同じことを以前、親友のI君に指摘されたことを思い出す。

*3:http://west-power.co.jp/theatre/main.htm

*4:http://2tb.hp.infoseek.co.jp/