昨日の夜は夢を見た。明石家さんまが今住んでいるマラパルテ邸を案内してくれた。地中海の青と、この建築の赤へのさんまの敬愛が、とてもよく伝わってきた。ゴダールの『軽蔑』じゃなくて、さんまの『軽蔑』だった。 ほとんど自殺に近い死だったというJLG。…

KENZOのおそらく80年代のヴィンテージのネクタイを一本買った。赤とピンクの、PCの画面で見ていたらさすがに派手すぎるかと思っていたが、届いたのを手元で眺めると、綺麗なのだが、少し淋しさを感じるネクタイだった。暗い色のスーツを着るのだから、これで…

朝から柚子と出かけて、川村記念美術館まで行き、「カラーフィールド」展を見た。アンソニー・カロの《原初の光》に最も痺れたが、川村が持っていないフランク・ステラのシェイプド・カンヴァスの絵がとてもよかった。変形のカンヴァスだから、その端っこは…

ずっとネットで聴いていたジェームズ・チャンス・アンド・ザ・コントーションズの『BUY』をCDで買った。どうせPCで聴くのだが、欲しかったのだ。ジョディ・ハリスとパット・プレイスのガリゴリしたギターが本当にかっこいい。 朝ゴミを捨てる。晴れてきたの…

仕事からの帰り道、或る小説についての書きかけの批評文に書き足した思い付きのことを考えていて、やはりあれは正解だという筋道を見つける。この仕事は再開できそうだ。そして終わらせることもできるだろう。 夕食をとって、寝室の蒲団の上に転がって、『プ…

職場の往復にナボコフの『ベンドシニスター』を読み始めた。先日『セバスチャン・ナイト』を再読したときにようやくナボコフの面白さを、本心から感じることができたのだが、これもとても面白い。夕食をとって、寝室の蒲団の上に転がって、池辺葵の『プリン…

ずっと放置していた批評文を、いよいよ完成させねばならなくなり、ファイルを開いて、続きから書き始める。一行考えるだけで、頭がぞわぞわしてきて、とても面倒くさくなって、思い付きを二行ほど殴り書きして、閉じる。全部をプリントアウトして、頭から読…

dp2 quattroの後ろダイヤルの蓋が外れたので、ゴリラを買ってきて、びくびくしながら、ちょんちょんとダイヤルの上に接着剤を乗せる。ダイヤルの凸と蓋の凹をじっと睨んで位置を確認して、蓋をはめてから、親指の腹で、上からぐーっと押さえる。恐る恐るダイ…

ベンヤミン著作集の『ブレヒト』を読んでいる。「叙事的演劇とはなにか(初稿)」に、「さまざまな機関と結合するためには、つまるところ本そのものになることだ」という言葉を発見して、とても嬉しくなる。山口裕之編訳の『メディア・芸術論集』にも「叙事…

ベンヤミン著作集の『ブレヒト』を読んでいる。「複製技術」と読み合わせることでより重要性を増すが、しかしその真価はまだまだ埋もれていると私には思われる、「叙事的演劇とはなにか」の中に、「叙事的演劇は、映画フィルムの映像のように、ワン・ショッ…

『ワーグナー・シュンポシオン2022』に掲載の夏田昌和の「R・ワーグナーの音楽と現代の音楽創造」を読む。「《ラインの黄金》序奏の冒頭で鳴らされ始める低音域のE♭とB♭による完全五度は、この先もコントラバス、バス・クラリネット、チューバと三本のトロ…

止まらなくなって『パディントンの一周年記念』も読んでいる。「それからしばらくあと、こぐ手を休めて、ボートがゆらゆら川下に流れるのにまかせながら、ブラウンさんがいいました。「きょうは、わたしたちが川ですごした日のうちで、いちばんおだやかな日…

シネ・リーブル神戸でマチェイ・バルチェフスキの『アウシュヴィッツのチャンピオン』を見る。よくできている。でも、ユダヤ抜きのホロコースト映画という気もしないではない。スピルバーグの慎ましさというようなことを、ぼんやりと考えたりもする。

マイケル・ボンドの『パディントンのクリスマス』も読み始める。写真屋さんの店先に飾られるほどの「非常に珍しい型の初期のカメラ」でブラウンさん一家を撮る「家族写真」で、パディントンが撮る写真は「少しぼやけていて、ふちのほうに数か所、前足のあと…

『くまのパディントン』を読んでいる。昔小説の学校に通った時、田中哲弥氏が薦めてくれて、それからずっと読みたいと思っていたのだが、あれから何年経ったのかしら。「絵というものは、かいている最中はおもしろいけれど、なかなか思うようにはうまくいか…

『ヨーロッパ・イン・オータム』を読み終える。続巻も翻訳されることを願う。いよいよ積んでおいたマイケル・ボンドの『くまのパディントン』を読むときがきたと思ったので、読み始める。

午後からシネ・リーブル神戸でカンテミール・バラゴフ『戦争と女の顔』を見る。久しぶりの映画館。やはり疲れているようで、初め少しうとうとするが、好みの映画だった。マティスのような緑や赤の服を纏い、空っぽの黒い空洞を抱えた女ふたりがいて、その空…

仕事の帰りにシネ・リーブル神戸でフィリップ・バランティーニの『ボイリング・ポイント』を見る。バリバリ仕事に精を出すような映画かと思っていたらそうではなくて、「アタマ沸いとるな」という言葉が関西にはあるが、「ボイリング・ポイント」とはこの「…

朝早く起きて、御徒町から葉山。海に向かう人たちでいっぱいのバスに乗って、神奈川県立近代美術館葉山で、アレック・ソスの「Gathered Leaves」展を見る。 会場でアレック・ソスとすれ違った。 急いで新宿まで戻って初台の新国立劇場で、ドビュッシーの《ペ…

昼からだらだらと新幹線に乗る。『アセンブリ』は荷物が重くなるので置いてきて、デイヴ・ハッチンソンの『ヨーロッパ・イン・オータム』を読む。副業・スパイに励むシェフが、レイザーワイヤーで仕切られた「マイ国家」の乱立する近未来のヨーロッパで繰り…

仕事が終わってから柚子と灘駅で待ち合せて、駅の改札のモスバーガーで夕食。HAT神戸の109シネマズまでぶらぶら歩いて、バズ・ラーマンの『エルヴィス』を見る。トム・ハンクスの演じるパーカー大佐の走馬灯(『スタートレック』的な時間と距離の旅)という…

仕事を終えて、シネリーブル神戸で柚子と待ち合せてポール・トーマス・アンダーソンの『リコリス・ピザ』を見る。私のPTAの映画に対する期待値が高すぎるのか、憔悴しきっている映画にしか見えなかった。素敵なシークェンスもあるのだが、それが映画全体のグ…

シネマ神戸でシャンタル・アケルマンの『囚われの女』を見る。この映画でシモンと呼ばれるプルーストの「私」は、高橋康也の論じるベケットのようなプルーストだ。シモンのふるまいは「悲愴であるが、同時に滑稽でもあ」って「すなわち道化」であり、シモン…

シネマ神戸でシャンタル・アケルマンの『オルメイヤーの阿房宮』を見る。レイモンド・フロモンの撮影を含め、何もかも素晴らしい。《トリスタン》の前奏曲が流れるなか鬱蒼としなだれかかる密林の河を遡る船の甲板のへりで、煙草をくゆらす褐色の肌のイゾル…

職場を出てから駅前のにしむら珈琲店の二階で、独りで慰労会。「おつかれさま」と呟いて甘い甘いウィンナーコーヒーを呑んで帰宅する。

シネマ神戸でシャンタル・アケルマンの『私、あなた、彼、彼女』を見る。ようやく女が部屋を出た道路脇のショットの、息をつける拡がりのありがたさ(しかしそこもまた新たな密室かも知れないという不穏さが画面の隅に潜んでいる)。部屋の中でふたりの女が…

シネマ神戸でリヴェットの『北の橋』を見る。パスカル・オジエの出てくるところは(それだけではないが)どこもかしこも最高。ビュル・オジエの「過去の火遊び」というのはおそらく1968年の不発の革命のことだろう。怪人クモ男の攻撃を受けて繭の中で眠り込…

2015年以降、今年がいちばん多くこのブログを書いている。たぶんTwitterがつくづく嫌になったことと、しかし、つまらないなりに心が動くこともあれば、それを書き留めておきたいという気持ちがあったからだろう。

新開地まで出て、シネマ神戸でジャック・リヴェットの『デュエル』と『ノロワ』を見る。『デュエル』はパリのいかがわしいダンスホールを舞台に、いきなり鏡が割れたり異能者たちの超能力バトルみたいになってゆくのは面白かったが、掴み損ねているうちにし…

IZ*ONEの《Mise-en Scène》には「ミーザンセーヌ」とそのままするっとひと繋がりに歌うところと、「Mise-en」で溜めて「Scène」でぐーっと延びるところがあるのだが、この中断と解放が聴きたいばっかりに、何度も繰り返しリピート再生している。 映画を見に…