2022-01-01から1年間の記事一覧

批評って何をしているんだろう。何かについて書いているのは間違いない。でも、何でそんなことしているんだろう。見ただけで、読んだだけで終わらないのは、なぜなのか。これで飯を食っているわけでもない。ときどき頼まれて書くこともあるけれど、概ね資料…

コロナワクチンを接種して初めて熱が出た。帰宅して眠る。ずっと眠る。柚子が帰ってきて林檎を向いて小さく切ったのを小皿いっぱいにくれる。それを指先で摘まんで間断なく貪る。噛んでいると口の中で冷たくてさくさくした塊がどんどん小さくなってきて、こ…

夕方、駅前の初めて行くクリニックでコロナの三回目とインフルエンザの予防接種を一緒に左腕に受ける。隣の駅まで出て、いつもの和菓子屋でうぐいす餅を買って、店のおじさんと町田康と筒井康隆の話をちょっと。本屋に寄って帰宅する。『たのしい知識』の続…

今年は久しぶりに熱心に日記を書いていたのに、10月と11月はたった一日しか書かなかった。何もないわけではなかったのに、もう忘れている。須田亜香里のガイシの卒業コンサートは、須田亜香里のスタートとここに至るまでの総てを突っ込み、しかも最後は「出…

仕事の帰りにハーバーランドでデイヴイッド・O・ラッセルの『アムステルダム』を見る。ラッセル版の『そして船は行く』のような映画で、丁寧に作られたコラージュが見もので、時折うっとりするような歌で包まれる。ひりひりするような傑作ではないかもしれ…

昼から新幹線に乗って東京。雨。遅く出てきたせいで何の展示も見られず。立川ステージガーデンでfromis_9の初めてのイルコンを見る。チェヨンとかジウォン、ソヨンの良さがとてもよく判った。

昨日の夜は夢を見た。明石家さんまが今住んでいるマラパルテ邸を案内してくれた。地中海の青と、この建築の赤へのさんまの敬愛が、とてもよく伝わってきた。ゴダールの『軽蔑』じゃなくて、さんまの『軽蔑』だった。 ほとんど自殺に近い死だったというJLG。…

KENZOのおそらく80年代のヴィンテージのネクタイを一本買った。赤とピンクの、PCの画面で見ていたらさすがに派手すぎるかと思っていたが、届いたのを手元で眺めると、綺麗なのだが、少し淋しさを感じるネクタイだった。暗い色のスーツを着るのだから、これで…

朝から柚子と出かけて、川村記念美術館まで行き、「カラーフィールド」展を見た。アンソニー・カロの《原初の光》に最も痺れたが、川村が持っていないフランク・ステラのシェイプド・カンヴァスの絵がとてもよかった。変形のカンヴァスだから、その端っこは…

ずっとネットで聴いていたジェームズ・チャンス・アンド・ザ・コントーションズの『BUY』をCDで買った。どうせPCで聴くのだが、欲しかったのだ。ジョディ・ハリスとパット・プレイスのガリゴリしたギターが本当にかっこいい。 朝ゴミを捨てる。晴れてきたの…

仕事からの帰り道、或る小説についての書きかけの批評文に書き足した思い付きのことを考えていて、やはりあれは正解だという筋道を見つける。この仕事は再開できそうだ。そして終わらせることもできるだろう。 夕食をとって、寝室の蒲団の上に転がって、『プ…

職場の往復にナボコフの『ベンドシニスター』を読み始めた。先日『セバスチャン・ナイト』を再読したときにようやくナボコフの面白さを、本心から感じることができたのだが、これもとても面白い。夕食をとって、寝室の蒲団の上に転がって、池辺葵の『プリン…

ずっと放置していた批評文を、いよいよ完成させねばならなくなり、ファイルを開いて、続きから書き始める。一行考えるだけで、頭がぞわぞわしてきて、とても面倒くさくなって、思い付きを二行ほど殴り書きして、閉じる。全部をプリントアウトして、頭から読…

dp2 quattroの後ろダイヤルの蓋が外れたので、ゴリラを買ってきて、びくびくしながら、ちょんちょんとダイヤルの上に接着剤を乗せる。ダイヤルの凸と蓋の凹をじっと睨んで位置を確認して、蓋をはめてから、親指の腹で、上からぐーっと押さえる。恐る恐るダイ…

ベンヤミン著作集の『ブレヒト』を読んでいる。「叙事的演劇とはなにか(初稿)」に、「さまざまな機関と結合するためには、つまるところ本そのものになることだ」という言葉を発見して、とても嬉しくなる。山口裕之編訳の『メディア・芸術論集』にも「叙事…

ベンヤミン著作集の『ブレヒト』を読んでいる。「複製技術」と読み合わせることでより重要性を増すが、しかしその真価はまだまだ埋もれていると私には思われる、「叙事的演劇とはなにか」の中に、「叙事的演劇は、映画フィルムの映像のように、ワン・ショッ…

『ワーグナー・シュンポシオン2022』に掲載の夏田昌和の「R・ワーグナーの音楽と現代の音楽創造」を読む。「《ラインの黄金》序奏の冒頭で鳴らされ始める低音域のE♭とB♭による完全五度は、この先もコントラバス、バス・クラリネット、チューバと三本のトロ…

止まらなくなって『パディントンの一周年記念』も読んでいる。「それからしばらくあと、こぐ手を休めて、ボートがゆらゆら川下に流れるのにまかせながら、ブラウンさんがいいました。「きょうは、わたしたちが川ですごした日のうちで、いちばんおだやかな日…

シネ・リーブル神戸でマチェイ・バルチェフスキの『アウシュヴィッツのチャンピオン』を見る。よくできている。でも、ユダヤ抜きのホロコースト映画という気もしないではない。スピルバーグの慎ましさというようなことを、ぼんやりと考えたりもする。

マイケル・ボンドの『パディントンのクリスマス』も読み始める。写真屋さんの店先に飾られるほどの「非常に珍しい型の初期のカメラ」でブラウンさん一家を撮る「家族写真」で、パディントンが撮る写真は「少しぼやけていて、ふちのほうに数か所、前足のあと…

『くまのパディントン』を読んでいる。昔小説の学校に通った時、田中哲弥氏が薦めてくれて、それからずっと読みたいと思っていたのだが、あれから何年経ったのかしら。「絵というものは、かいている最中はおもしろいけれど、なかなか思うようにはうまくいか…

『ヨーロッパ・イン・オータム』を読み終える。続巻も翻訳されることを願う。いよいよ積んでおいたマイケル・ボンドの『くまのパディントン』を読むときがきたと思ったので、読み始める。

午後からシネ・リーブル神戸でカンテミール・バラゴフ『戦争と女の顔』を見る。久しぶりの映画館。やはり疲れているようで、初め少しうとうとするが、好みの映画だった。マティスのような緑や赤の服を纏い、空っぽの黒い空洞を抱えた女ふたりがいて、その空…

仕事の帰りにシネ・リーブル神戸でフィリップ・バランティーニの『ボイリング・ポイント』を見る。バリバリ仕事に精を出すような映画かと思っていたらそうではなくて、「アタマ沸いとるな」という言葉が関西にはあるが、「ボイリング・ポイント」とはこの「…

朝早く起きて、御徒町から葉山。海に向かう人たちでいっぱいのバスに乗って、神奈川県立近代美術館葉山で、アレック・ソスの「Gathered Leaves」展を見る。 会場でアレック・ソスとすれ違った。 急いで新宿まで戻って初台の新国立劇場で、ドビュッシーの《ペ…

昼からだらだらと新幹線に乗る。『アセンブリ』は荷物が重くなるので置いてきて、デイヴ・ハッチンソンの『ヨーロッパ・イン・オータム』を読む。副業・スパイに励むシェフが、レイザーワイヤーで仕切られた「マイ国家」の乱立する近未来のヨーロッパで繰り…

仕事が終わってから柚子と灘駅で待ち合せて、駅の改札のモスバーガーで夕食。HAT神戸の109シネマズまでぶらぶら歩いて、バズ・ラーマンの『エルヴィス』を見る。トム・ハンクスの演じるパーカー大佐の走馬灯(『スタートレック』的な時間と距離の旅)という…

仕事を終えて、シネリーブル神戸で柚子と待ち合せてポール・トーマス・アンダーソンの『リコリス・ピザ』を見る。私のPTAの映画に対する期待値が高すぎるのか、憔悴しきっている映画にしか見えなかった。素敵なシークェンスもあるのだが、それが映画全体のグ…

シネマ神戸でシャンタル・アケルマンの『囚われの女』を見る。この映画でシモンと呼ばれるプルーストの「私」は、高橋康也の論じるベケットのようなプルーストだ。シモンのふるまいは「悲愴であるが、同時に滑稽でもあ」って「すなわち道化」であり、シモン…

シネマ神戸でシャンタル・アケルマンの『オルメイヤーの阿房宮』を見る。レイモンド・フロモンの撮影を含め、何もかも素晴らしい。《トリスタン》の前奏曲が流れるなか鬱蒼としなだれかかる密林の河を遡る船の甲板のへりで、煙草をくゆらす褐色の肌のイゾル…