• 朝起きて洗濯機を回す。洗濯物を干しにベランダに出る。「しま」は私を先導して先に階段を登る。「しま」がコンクリの床の上で日向ぼっこをしている隣で、今村仁司の『アルチュセール』のイデオロギー論のところを読む。
  • 昼前に、先日あちこち回ったが店舗には、ちょうど私によいサイズの黒色のジャケットは売り切れてなかったので、ネットで注文していたものが届く。金村修の写真集『I CAN TELL』も一緒に届く。そうとう安かったので、カバーの大きな帯があるか心配だったが、この値段ならなくてもしかたがないと腹を括って、夜中に慌てて注文した。クリックしてから「こういう時期だから少しでも現金を置いておかねば」と思ったけれど、どうなるものでもない。ちゃんと帯つきが届いた。とても嬉しい。さっそく眺めているが、やはりむちゃくちゃかっこいい。私が今、カメラを買って写真をバチャバチャ撮っているのは、三上君の家で金村修の『SPIDER'S STRATEGY』をみて、その格好よさに痺れたからだと思う。そのとき同時に知った写真家は米田知子だった。

  • 仕事をして帰る。山下達郎の『SPACY』を半分だけ聴く。
  • 柚子が作ってくれた焼きそばを食べて、そのあと少し何か書いたり読んだりしようと思うが、風邪っぽいのではやく眠るという柚子と一緒に、開架のソファから「しま」も連れてきて、眠る。
  • 画廊は閉まり、美術館はいつ再開するのか判らない。4/11に登壇する予定だった、迫鉄平君の全作品上映に伴う、埼玉県立近代美術館トークショウはやはり残念ながら流れてしまった。

  • 職場から、すっかり疲れて帰宅する。今朝は、ぱっちり目覚めて快調だったが、今日の仕事に対して、やはり眠った時間が短すぎたようなので、夕食のあと、さっさと蒲団に潜り込む。眠りもまた、コミュニストたちがいうように、量は質に転化するのだ。

  • 朝起きて、今日は仕事が休みではないことに、なんとなく釈然としないまま、出社する。
  • 仕事を終えてから駅前の古本屋の百円棚を覗いたら、まだ『鏡の国の戦争』も『高貴なる殺人』も並んでいたので、たぶん「しま」しか入れない部屋の隅のどこかにあるはずだが、これも結局買ってくる。
  • 隣町の駅前で桜餅をふたつ買って、薬局で整髪料を二本求める。いちおうマスクの棚の前も通ってみるが、もちろん並んでいない。朝のシャッターの前の行列は、もう老人だけでなく若い人も増えて、ますます長くなっている。
  • 帰宅して、少しだけ首相の会見を眺めるが不快なので、チャンネルを変える。柚子と饂飩を食べる。柚子は風邪の防止のため、早く床に入った。「しま」が大きな声で鳴く。
  • 真夜中に風呂に入って、ジグムント・バウマンとデイヴィッド・ライアンの対談本を読んでいるが、そのなかに、「今日の変動しやすく可動的な組織において権力が表面に出てくる電子テクノロジーアーキテクチャは壁(ウォール)や窓(ウィンドウ)といった構造物(アーキテクチャ)をほとんど不用にします(仮想の「ファイアウォール」や「ウィンドウズ」であっても)。その結果、さまざまな顔を表示する統制の形態も可能になっています。」*1という一節を見つける。「Mirrors and Windows」のことをぼんやり思い出したりする。鏡はどこに消えたのか?
  • 眠る。

*1:The architecture of electronic technologies through which power is asserted in today's mutable ... organizations makes the architecture of walls and windows largely redundant (virtual 'firewalls' and 'windows' notwithstanding).And it permits forms of control that display different faces.

  • 職場の近くの古本屋の百円棚でジョン・ル・カレの『死者からかかってきた電話』を買う。お菓子とコーラをドラッグストアで買って、家に戻る。
  • 夕食をとってから、Zoomでアラザルの同人たちと駄弁る。夜中の3時までずーっと喋る。意識がなくなるまで喋る。いきなり眠ってしまったようで、眼が醒めると、それをみていた皆が笑った。
  • 国家にしかできないことをちゃんとやれ、カネを配れ、差別をするな、と、苛々することばかりで、やはり神経がぴりぴりしていたのだと思う。友人たちと喋って、ぐっすり眠る。

  • 駅前の花屋が、ラナンキュラスを十本纏め売りをしているのを買う。朝家を出るときからジャケットを一着買って帰ろうと思っていたので服屋にも寄るが、ちょうどいいサイズがない。閉店間際の本屋で慎改康之の『ミシェル・フーコー』を買う。花の茎を鈍い鋏で短く切って一輪挿しにまとめて活けて、食卓の上に置く。糞のような政府から差し出される政策のまわりには、梱包財のようにみっちりと差別が隙間なく詰め込まれていて、本当に不快。

  • ロンドンの本屋から郵便が届いた。ルイス・ボルツのカタログ『Common Objects』は、ボルツの写真とアントニオーニやJLGやヒッチコックの映画との影響関係を探る展示だったらしく、ページのところどころに彼らの映画から抜き取られたワンシーンが透明なシートに印刷されていて、隣のページのボルツの写真と重なっている。このごろはエヴァンスの『アメリカン・フォトグラフス』ばかり見ていたが、エヴァンスのなかのボルツ、ボルツのなかのエヴァンスを探しながら、かっこいいなあと感嘆しつつページをめくっている。