• 昨日の夜は夢を見た。明石家さんまが今住んでいるマラパルテ邸を案内してくれた。地中海の青と、この建築の赤へのさんまの敬愛が、とてもよく伝わってきた。ゴダールの『軽蔑』じゃなくて、さんまの『軽蔑』だった。
  • ほとんど自殺に近い死だったというJLG。ドゥルーズを思い出す。雑な引用を繰り返し、そのズレている部分こそ面白いとか、共通するところは多々あるが、私はJLGを、やはり全くドゥルーズ的ではない映画作家であると思っている。

  • KENZOのおそらく80年代のヴィンテージのネクタイを一本買った。赤とピンクの、PCの画面で見ていたらさすがに派手すぎるかと思っていたが、届いたのを手元で眺めると、綺麗なのだが、少し淋しさを感じるネクタイだった。暗い色のスーツを着るのだから、これでいい。

  • 朝から柚子と出かけて、川村記念美術館まで行き、「カラーフィールド」展を見た。アンソニー・カロの《原初の光》に最も痺れたが、川村が持っていないフランク・ステラのシェイプド・カンヴァスの絵がとてもよかった。変形のカンヴァスだから、その端っこは余りの画布が折りたたまれていたり、あるいは画布が半端になって、支持体が露出してしまっている箇所もある。その部分は絵なのだろうか。絵ではないとするなら、何なのか。川村の所蔵のステラの《タンパ》は画布の縁はきれいに木材で覆われているが、その股座の部分と言おうか、「X」の中心のあたりには、わずかな画布の盛り上がりがある。絵という物質の中に既に、絵と呼んで良いのかどうか判らないものが入り込んでいるのが、ステラのシェイプド・カンヴァスの作品群であるとするなら、そこから彫刻のようにも見える絵画らしきものへ移行してゆくのは、自然な流れだったのだという気がした。あるいは、いわゆる初期のブラック・ペインティグである《トムリンソン・コート・パーク》は、エナメルを塗っている部分より塗っていない隙間(画布がただ露呈している部分)がこの絵を絵にしているということもできるだろう。今日はケネス・ノーランドもまとめて見ることができたが、ノーランドの絵もまた色の塗られた帯の部分を取り巻く塗られていない緩衝帯こそが気になった(もちろんステラはこれらを見ている、抽象表現主義に「遅れてきた青年」である)。絵を構成する絵ではない部分こそがゆっくりとステラを立体絵画へと導いたのではないか、という誰でも言えることを、私も確信するようになった。オリツキーの初期作もとても良かった。
  • 常設展では、今日はロスコの気分ではなく、マレーヴィチの《シュプレマティズム》の黒の中の鈍い緑のような輝きに惹かれた。エルズワース・ケリーにも惚れ惚れした。
  • 「しま」に怒られるのでそのまま帰る。

  • ずっとネットで聴いていたジェームズ・チャンス・アンド・ザ・コントーションズの『BUY』をCDで買った。どうせPCで聴くのだが、欲しかったのだ。ジョディ・ハリスとパット・プレイスのガリゴリしたギターが本当にかっこいい。
  • 朝ゴミを捨てる。晴れてきたので、駅までの道の途中で解体が始まったビルを撮りに出かける。寝間着のチームEのTシャツのままだが、まあいいや。壊されて《ヴァルキューレ》の終わりのセットみたいになっているビルを撮って帰る。二階に上がれなくなった大きな階段がとてもきれい。「どこに行ってたの?」と柚子に言われながら、作ってくれた朝ご飯を食べる。
  • 夕方から出かけて、シネ・リーブル神戸でフィリッパ・ロウソープの『彼女たちの革命前夜』を見る。

  • 仕事からの帰り道、或る小説についての書きかけの批評文に書き足した思い付きのことを考えていて、やはりあれは正解だという筋道を見つける。この仕事は再開できそうだ。そして終わらせることもできるだろう。
  • 夕食をとって、寝室の蒲団の上に転がって、『プリンセスメゾン』の4巻を読んで、そのまま眠ってしまう。池辺葵の漫画はとてもいい。