• 田野大輔の『愛と欲望のナチズム』を読み始める。
  • 午後から柚子と同じ電車で出かける。私は新今宮で降りて、天下茶屋のほうに、そぞろ歩きしながら写真を撮る。
  • スナップショットと批評、今とても嫌われているものをふたつも、私は宿痾として血道を上げている。
  • 写真を撮っていると、おばさん同士が喋っているのが聴こえてくる。どこで喋っているのかは見えない。コロナの蔓延の話をしているようで、やがて、「日本も全滅やで。ひゃひゃひゃひゃ」と、おばさんの哄笑がやってきた。心の底から噴き上がってるらしい、とても透き通った笑い声で、こちらまで元気づけられた。
  • 山王のあたりを抜けながら天王寺駅のほうに戻る途中。五時を過ぎるとすっかり暗くなって、街中ではないから、F値を小さくしても撮れるものは限られてくる。コインパーキングと居酒屋の電飾看板を撮っていると、私の脇を、空き缶を満載した自転車を漕いで、キャップを被ったおっさんが抜けて行った。通り過ぎざまに、小さな声で節をつけて「バカまるだすぅぃー」とおっさんは謡った。追いかけてやろうか。しかし、おっさんの言っていることは蓋し尤もである。一枚撮って、路地を振り返ると、もうおっさんの自転車は見えなくなっていた。
  • 中古レコード屋で、ジェイムス・ブラウンの『IN THE JUNGLE GROOVE』を買う。買おうかなどうしようかなと先日から思っていたのだが、今日は買おうと思って行ったらまだ棚にあったので買う。やはり最高。

  • 同僚たちと三宮のロフト(ではないのだが)の外の階段を降りてゆくと、途中の踊り場のようなところで、ロゴの入った作業服を着た父が煙草を吸いながら笑顔で立っている。眼鏡はかけていない。車をどこかに停めていてどうのこうのという話を父がする。あ、こりゃやばいなと思って、同僚たちとは別れて、私は父と残る。たまたま会えてよかった、事故でも起されたら大変だ、と私は思う。眼が覚める。大変も何も、彼はもう死んでるじゃないか。そのまま起きて階下に降り、暖房の前でお茶を呑んでいた出勤前の柚子に今見た夢の話をする。柚子が小さく笑う。
  • 理由は特にないが、ずっとジョセフ・フォン・スタンバーグを纏めて見ようと思っていた。ようやく『上海特急』を見る。軍閥同士の内戦下をひた走るこの特急には装甲列車も接続されており、水冷式の大きな筒を備えた機関銃が画面にはたびたび現れる。
  • 列車が北京を出て上海に到着するまでの鉄道の旅を描くのだから然もありなんであるが、この映画は、分断されているものが一つになるまでの諸々のプロセスを幾つも描く。
  • 嘗て恋人同士だった男女がよりを戻すことが、この機敏なアクション映画の最大の見どころであるが、それは、ひとつの画面の中に二人が収まることによって齎される。
  • 列車内の各コンパートメントを横から撮るので、画面が真ん中で二つに分断されるショットが多く、列車を降りても建物の中は薄布のカーテンで幾重にも区切られており、私たちの視野は、しばしばぶった切られてしまうことが起る。
  • マレーネ・ディートリヒがクライヴ・ブルックとの諍いのあと、コンパートメントに籠り、天からの光を浴びながら震える手で煙草を吸う、過剰なほどの美しいショットがある。このショットはディートリッヒの陶器のような額とシャープな眉を画面いっぱいに見せており、いかなる切断もないが、男と女を、別々の場所で撮ったショットを繋ぐというだけで、分断の諸相をこれまでずっと見つめてきた私たちの眼は、そこに胸をかきむしられるほどの分断を見て取るには充分に教育されている。
  • しかも恐ろしいことに、より美しいショットがこのあとやってくる。終着の上海の駅で群衆の渦の中に呑みこまれながら接吻をするショットの前に、再び始発駅で纏っていた黒鳥のタイトなドレスを纏っているディートリッヒの顔のアップがあり、繊細に織られた面紗の影が彼女の額から双眸の上に、ぴったりと重ね合わられる。こんな精妙な版画のようなショットをよく作ったものだと溜息が出る。アンナ・メイ・ウォンも素晴らしいが、とにかくディートリッヒと、その衣裳に驚く映画。

  • 朝は「しま」に起こされる。洗濯物を干して、昼過ぎから出かけてシネ・リーブル神戸でヴィム・ヴェンダースの『アメリカの友人』を見る。舞台がハンブルクやパリだろうとアメリカ映画を、フィルム・ノワールを撮るのだから今回はニューカラー写真の構図と色彩で撮っていいのだという大胆な気概に満ち溢れている。オープニングの滑り込んでくるイエローキャブの車体や窓に映り込んだ光の美しさから、画面の中にもうひとつフレームを作るワーゲンのドアのオレンジの鮮やかさ、そしてWTCが聳えるニューヨークの空の色まで、ロビー・ミューラーのカメラがとてもいい。黒と赤と黄のドイツ国旗の色が頻出するが、それはニューカラー写真のアメリカの方法論だからこそ可能なドイツの表象かもしれない。映画全編に漂う濃厚な躁鬱っぽさとの響き合いもあって、北野武の『ソナチネ』をふと思い出す。ユルゲン・クニーパーの音楽も良かった。満足して、1500円もするパンフと『アメリカの友人』のポスターまで買って、そのまま帰路。
  • 『ドイツ人はなぜヒトラーを選んだのか』を読み終えて(レーム粛清は副産物のようなものであり、保守層右派との権力闘争としての「長いナイフの夜」の位置付けに納得。ナチは「さまざまな社会問題に対する有効な答えを持っていなかったため、あらゆることに反対することしかできず、つじつまの合わないものにさえ反対した」とあるが、我が国でもこんな政党が票を伸ばしている)、今はダニエル・リーの『SS将校のアームチェア』を読んでいる。出だしからすごく面白い。

  • 夜遅く眠ったのでだらだらと起きて、昼前からシネ・リーブル神戸でヴィム・ヴェンダースの『都会のアリス』を見る。映画館で見るのはたぶん初めてだと思う。「写真だったら別の人に頼むわ」と言われる作家に哀れを覚えるが、アメリカだったら写真が撮れまくったのにヨーロッパ(西ドイツ)に帰ると全然撮れなくなる映画だ。ニューカラー写真に傾倒しまくったヴェンダースだが、アメリカだったらニューカラーの魅力を存分に充溢させた写真を撮れるのに、ドイツではアメリカのニューカラー写真を撮ることはできないという或る意味当たり前の壁を前に試行錯誤したのが、この構図は決まりまくっているがざらついた粒子の黒白映画を撮るということだったのではないか。ロビー・ミューラーの撮影は最高である。映画前半の、アメリカを放浪している間のぶつぶつした編集の繋ぎがとても好き。
  • 『さすらい』まで時間が少しあったので、商店街の中にできていたブルースターバーガーで昼飯を食う。ダブルチーズバーガーを食べる。映画館に戻り『さすらい』を見る。途中からどれぐらい時間が経ったのか判らなくなってくるがもう終電ぐらいまで続いてくれたらいいと思う。映画が終わって場内が明るくなると、観客は私を含めおっさんばかりで笑う。
  • 西ドイツの今(1975年)を、中年に足を踏み入れた戦後生まれの男ふたりの惑いの旅模様と、映画館という文化の終焉と共に描いていて、やはり撮影はロビー・ミューラー。『さすらい』もまた、ニューカラー写真のアメリカに伍しながら、ニューカラー写真では撮れない西ドイツをどう撮るかを深く思考しているが、今回は『都会のアリス』のような粒子の荒れではなく、とてもきめ細やかな美しい35ミリの黒白で撮ることを選択している。初期ヴェンダースはこんなにも鬱っぽい作家だったかと認識を改める。
  • マリ=ジョゼ・モンザンの『イメージは殺すことができるか』を買って帰路。ピーター・ボグダノヴィッチが亡くなったそうだ。

  • ベケットは自分には関係なさそうだと思っていたが、同じように思っていたジョイスの『ユリシーズ』を去年ちょっとだけ読んだときに、どうやらそうでもなさそうだと思った。それから去年はジュネの『バルコン』と『女中たち』と、『桜の園』をはじめとするチェーホフも読んで、それらがとても面白かったので、それぞれから流れ込むように自然とベケットに手が出て新訳の『ゴドーを待ちながら』を読んでみた。とても惹きつけられるテクストだったが、あちこちが噛み合ったり響きあったりしている丁寧な作りなので、また読むことになるだろうと思った。昨日は「しま」の隣でうたた寝してしまったが、今日は蒲団で眠る。
  • 朝、目が覚める前に夢の中で写真を撮っていた。ちゃんと構図まで作っていた。電柱の変圧器を撮っていたが、日光写真のようにぼんやりとした画面だった。