『無常のおいしいレストラン』

  • 昼、実相寺昭雄の『無常』をDVDで観る。傑作。
  • 実相寺昭雄と云えば「実相寺アングル」である。または、「実相寺カット」とも呼ばれる。アレだと云うのが判れば、呼び名は何でもよい。
  • それの幾つかの特徴を挙げれば、超広角で、人物の前にモノを配し、空間や建築のパースを強調し、或いは人物(顔)を画面の中央に置かず、その周りの空間で押し潰すように切り取る、等々。
  • 映像には、なるたけ「自然」なふうに映ることを目指しているもの、切り取られたものだと云うことを意識させない努力をしているものと、この「実相寺アングル」のように、キャメラの存在を強烈に意識させるものがある。「実相寺アングル」は、『無常』のなかでも多用されている。
  • では、実相寺昭雄は、何故このような画面づくりを行ったのだろうか?
  • それは、われわれ人間が、モノに取り囲まれているからであり、それを強調するための、あのアングルやカットなのではないか?
  • 司美智子が演じる姉と田村亮の演じる弟は、能面をつけることによって、初めて獣欲を外に迸らせ、近親相姦に耽る。ひとの手で彫られたひとの顔である能面が、その情欲を掻き立てたと云ってもいいだろう。
  • 岡田英次の演じる不能の仏師は、暦が春でも、いつまでも底冷えする京都の冬を「去り難く地に潜っているもの」と評するが、色だの欲だの絶望だの祈りだの、われわれ人間がその裡にどうしようもなく抱えている、「去り難く地に潜っているもの」を顕わにさせるには、モノを介してしかなし得ない。つまり、モノの描写を深くし得てこそ、人間を深く描写し得るのである。
  • そして、実相寺のキャメラが捉える人間は、だからこそ、どんどんモノになってゆく。弟は、姉と性交しながら、彼女の顔の下にある骨を、思わず透視してしまう。やがて、衝撃的なラストシーンの、人間が変化してすっかりモノになり変わっている、そのカラッとした明るい美しさ。
  • 仏師の後妻を演じる田中三津子が、実にあっけらかんとエロくて、とてもいい。ほつれ髪の「くるん」、が堪らん。
  • 実相寺昭雄は、素晴らしい映像作家だったと、つくづくその思いを新たにする。
  • 夜になって出掛け、三宮で柚子と待ち合わせてモスバーガーでささっと夕食をとり、大好きなブラッド・バードの新作『レミーのおいしいレストラン』(字幕版)*1をレイトショウでやっと観る。これが大傑作。出てくる料理が実に旨そう。たぶん監督たちはフランス料理を食いまくったことだろう。でなきゃ、料理批評家に出されるあのひと皿(思わず滂沱してしまった)は作れないだろう。
  • しかし、さすが『アイアン・ジャイアント』の監督、巨大ロボット物として見ても大変良く出来ていて、日本を代表するロボット操縦者のひとりであるシンジ君には、レミーの爪の垢でも煎じて飲んでいただきたいが、レミーは清潔なので垢はなさそうである。
  • それに、ちょっとヌけたところのある兄貴が昔の仲間を連れて、功なり名を遂げつつある主人公のところにやってきてカネをせびる、なんて云う青春映画なテイストもあり、料理の才能あふれ人間の世界に出てゆくレミーと、ネズミとしての暮らしを墨守し人間とは距離を置くレミーの父の姿に、ふと、才能を愛されつつ迫害されたユダヤ人たちの姿が重なって見えたり、兎に角、とても重層的で、脚本も美術も総てが良く練り上げられている映画なのだ。
  • ところで、料理批評家(棺桶形の書斎が最高である)の声は絶対に聴いたことがあると思っていたら、ピーター・オトゥールだった。何とも素晴らしい役を演じたものだ!
  • 免許もないのにシトロエンが欲しくなる、金がないのにパリに行きたくなる、さっき腹を膨らませたはずなのにすっかり腹が減ってしまっていて何が何でもフランス料理が食べたくなる、と云う素晴らしい映画だったが、何しろレイトショウで見たので、当然レストランは閉まっていて、そのまま帰宅する。
  • 是非とも映画館で、夕餐前に、ごらんになるべき映画。傑作。
  • もういちど今度は吹替版でも見てみよう。あ、『トランスフォーマー』も観なきゃ。

*1:http://www.disney.co.jp/movies/remy/ ちなみに原題は『ラタトゥイユ』である。