『バットマン・ビギンズ』、『ダークナイト』をみる

  • DVDでクリストファー・ノーランの『バットマン・ビギンズ』をみる。丁寧に作られている。飛び回る大量のコウモリが描く渦巻きが美しい。都市のランドマークとなるビルの地下で大爆発が起って終わり、なんて、1993年のWTCを想起させる。
  • 夕方から出かけて、三宮で柚子と落ち合い、神戸国際松竹で、ようやくクリストファー・ノーランの『ダークナイト』をみる。公開のとき柚子がみたいと云ったのだが、結局、見逃してしまっていたのだ。成るほど、これは確かに前作と比較すると、ずばり、9.11で、傑作だ。映像のリズムが格段に素晴らしくなっているとか、脚本が非常によく練られているとか、ヒース・レジャーを始め俳優たちの演技が皆、怖ろしく充実しているとか、レイチェルがいきなり可愛くなったと思ったら女優さんが変わっていたとか、ミースの建築を流用した美術が見事だとか、そんなことはたぶん、もう云い尽くされているのだろう。
  • 劇場から出てくる階段を昇りながら、私の隣を歩く柚子が云った。「きのうの(『レボリューショナリー・ロード』)もそうだったけど、まさにアメリカだったね。」と。
  • PTAは『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』で、「アメリカ=映画」を再び始めなおすことに挑んでいたが、私は、この映画にも同じ強い意志を感じた。「敢えて」デモクラシーを選ぶのだから! しかし、この『ダークナイト』には、とてつもなく強烈なアドゥレセンスの匂いがする。私がもし中学生の頃、この映画をみていたら、生涯のベスト5の一本に選んだ可能性だってある。もうオッサンなので、2008年のベストテンのなかの5位あたりに滑り込ませることしかしないし、特に熱狂もしないけれども。
  • アメリカは今、多感な童貞の高校生として、彷徨っているのだろう。ひどい年寄りと幼児しかいない我らの地球の上で。