本は外で読むほうが進む。

  • 昼起きて、洗濯機を廻してシーツやら何やらの洗濯物を干したりして、テープ起こしの続き。はやく終わらせないと……。「阪根タイガース」を読むのが、励まされるのを通り越して、こんなに申し訳ないような気持ちになるなんて……。はやく終わらせないと……。
  • 陽が落ちる前に、きのう柚子から頼まれた、前輪のおかしくなった彼女の自転車を、近所の自転車屋に転がして持ってゆく。ホイールの一部分が削り取れている、なかなか変わった壊れ方で、自転車屋の爺さんが一瞬、絶句していた。廃品の自転車を倉庫から引っぱりだしてきて、共食いで直してくれる。
  • そのまま柚子の自転車に乗って、スターバックスまで出て、江藤淳の『作家は行動する』を読了する。なるほど、これは青春の書物だろう。しかし、日本語が決してフランス語のようにならないであろう以上、日本と云う場所が本質的にはこれからも江藤が生きた時代と変わらないであろう以上、ずっと永遠の青春の書物で、だから、ちょうど半世紀前に出版された本だが、其処で提出されている分析も指針も些かも古びてはおらず、その価値はまるで減じていない。きわめてクールであり且つファイティング・スピリットに溢れまくっているそのさまに、些か感動する。引用し始めるとキリがないので、しない。文庫も出ているので、読んでみるべき。
  • 一緒に携えてきた『崩壊からの創造』のなかの、「戦後と私」を久しぶりに再読する(ほんとうは「日本文学と「私」」を読むつもりで持ってきたのだったけれど)。「父は父なりに、私は私なりに、空振りしたクラブの先から抜け落ちていくもののかたちを見るかも知れない。そんなゴルファーを許容するコースが今あるかな、と私は一瞬かなり真剣に考えた」と云う言葉のなかに、江藤の営みの総てが凝縮されているようにさえ思う。私は、江藤淳のように、たった独りの戦いを戦い抜くと云う気概なんぞこれっぽっちも持ちあわせていない。しかし、どうして江藤淳は私の胸にこんなにも迫ってくるのか。落涙。
  • serico嬢、無事退院の由。おめでとう。