飯守泰次郎、東京シティ・フィルの『パルジファル』を聴いた

  • 生演奏の『パルジファル』に接するのは、恥ずかしながらこれが初めて。さて、私の座席は奮発して買ったS席で、一階D列。率直に云えば、もっと安い席で充分だった。
  • まずはオーケストラだが、前奏曲はただたらたらと流れるだけで、このオーケストラが『パルジファル』に対して決定的に力不足なのがいきなり明白。だが第一幕の半ば頃、愚者の少年パルジファルが登場するあたりから、音の濃淡の表情がぐっと良くなった。そのまま良い演奏を続けてくれれば良かったのだが、またもや音を垂れ流すだけになったり、再び持ち直してぱりっとした音を出したりと、兎に角、安定しない。残念ながら、ただ音を垂れ流している時間の方が長かった。日本のオーケストラのオペラへの適性は、まだこの程度なのか?
  • 総体的に、飯守の指揮に対する反射能力は、よっぽど関西フィルの方が高いのではないかと感じた。もっと基礎体力のあるオーケストラで、飯守の振るワーグナーを聴きたい。
  • 肝腎の独唱者たちで、本格的と呼ぶに足る水準に達していたのは、クンドリを歌った小山由美。贖罪と淫蕩の間で揺れ動く特異なキャラクタを、きちんと描き出していた。
  • アムフォルタスを歌った福島明也は、歌唱力は充分なのだが、アムフォルタスと云うキャラクタの理解が決定的に乏しい。アムフォルタスは己れに対する絶望や呪詛を、ギャアギャアと喚き散らすような人物ではないと思うのだが。それに比べると、グルネマンツを歌った木川田澄は、さすがに第三幕で明らかな疲れが滲み、声が出なくなる箇所もあったが、基本的にグルネマンツと云う役を理解し、朗唱していた。
  • タイトルロールを歌った竹田昌弘も、少年らしさを前に押し出したパルジファルを見事に演じた。
  • クリングゾルを歌った島村武男も十二分に巧い。だが、20年前の戦隊物の悪の幹部と云ったふうなコスチュームは如何なものか。これでは、クリングゾルはただの馬鹿ではないか。
  • また、時には独唱者以上に『パルジファル』では男声合唱が大きな役割を持たされているが、この肝腎な合唱団も力不足。歌はバラバラで、厚みがなく、表情も乏しい。或る意味、最も残念だったのがこの合唱だった。
  • 鈴木敬介氏の演出の内容の無さは、人畜無害を通り越して、大いに有害だと断言できる。少なくとも、すっかり時代遅れ。百年も前のオペラを現代で上演する意味に就いて、欧州の演出家は、もっと考えていると思うのだが。最後に、地球の映像が舞台の後ろに映し出されるのだが、それが何だと云うのだ。馬鹿馬鹿しい。
  • 私は演奏会形式のオペラなんぞ大嫌いだが、こんな演出がチケット代の中に入っているなら、一切の演出は抜きで上演してくれるほうがよっぽど良い。浮いた金はオーケストラと合唱団員のそれぞれに与えて、もっと良い演奏をするようにしてほしい。
  • それから、プロンプター氏の、客席にハッキリ聞こえる無神経なデカい声が興醒め。歌手たちの覚えがそれほど悪かったのか、それともプロンプター氏の耳が余程お悪いのか、どちらにせよ、酷いと云ってもいいだろう。
  • 終演後、東京宝塚劇場前で出待ちをしている人びとの群れを横目に、徒歩でJR東京駅まで向かう。途中、ロッテリアに入って簡単な食事を済ませる。駅の構内で、柚子からお土産に指定されていた、舟和*1の芋ようかんとあんこ玉の詰め合わせを買い、新幹線に乗った。
  • 借金を綺麗にしたら、ちゃんと金を貯めて、バイロイトだかウィーンだかヨーロッパの何処かでティーレマン大野和士(どちらかを強く希望)が振る『パルジファル』を絶対に聴いてやる。その時は柚子もきっと連れて行こう、と思った。