一九一一年にストルイピン首相が暗殺されたころには、ロマノフ王朝の半ば狂気に満ちた黄昏の世界は、暗殺者がほんものの革命家なのか警察の手先なのか見分けがつかないほどの闇に沈みかけていた。
アナキズムは、いかにその行為に限界があったにせよ、二分された社会、特権を持つ世界と抗議する世界との間の闘争を、ドラマの形で示してみせた。(……)アナキズムは個人主義的人間の最後の叫び、個人の自由のための大衆の間での最後の運動、国家・政党・組合・組織が包囲網を閉じてしまう以前の、規制されることのない生き方への最後の希望、じわじわと侵食してくる国家に対して振りかざされた最後の握りこぶしだったのである。
南部連合の首都リッチモンドとワシントンの距離は、百マイル(百六十キロ)あまりに過ぎない。こんにち高速道路で走れば二〜三時間の距離である。当時、馬車の旅なら四〜五日はかかっただろうが、すでに開通していた鉄道を使えばその日のうちに着いた。北軍と南軍は、南北戦争の初めから最後まで、この短い距離のあいだで激しい攻防戦を繰りかえすのである。