木曜の男たち

  • 松岡農相が自殺。現役大臣の自殺は、終戦時の阿南惟幾陸相などの例はあるが、少なくとも戦後は初めてではないか? 事務所の若い衆が「自殺なんて嘘でしょ。殺されたんスよね?」と云う。

一九一一年にストルイピン首相が暗殺されたころには、ロマノフ王朝の半ば狂気に満ちた黄昏の世界は、暗殺者がほんものの革命家なのか警察の手先なのか見分けがつかないほどの闇に沈みかけていた。

  • バーバラ・W・タックマンの『世紀末のヨーロッパ』を、思想に感染したスタンドアローンの王殺したちが続々と出現したアナキズム運動の諸相を描いた、「理念と行為」まで読了。

アナキズムは、いかにその行為に限界があったにせよ、二分された社会、特権を持つ世界と抗議する世界との間の闘争を、ドラマの形で示してみせた。(……)アナキズム個人主義的人間の最後の叫び、個人の自由のための大衆の間での最後の運動、国家・政党・組合・組織が包囲網を閉じてしまう以前の、規制されることのない生き方への最後の希望、じわじわと侵食してくる国家に対して振りかざされた最後の握りこぶしだったのである。

  • 「夢の終り」と題されたアメリカを巡る章へ行く前に、気になっていた内田義雄の『戦争指揮官リンカーン』を先に読み始める。不勉強の故、知らなかったことばかりで、実に面白い。

南部連合の首都リッチモンドとワシントンの距離は、百マイル(百六十キロ)あまりに過ぎない。こんにち高速道路で走れば二〜三時間の距離である。当時、馬車の旅なら四〜五日はかかっただろうが、すでに開通していた鉄道を使えばその日のうちに着いた。北軍と南軍は、南北戦争の初めから最後まで、この短い距離のあいだで激しい攻防戦を繰りかえすのである。

  • 1860年当時のアメリカの人口は31,000,000人、そして北軍の戦死者は360,000人、戦傷者は280,000人。南軍の戦死者は260,000人、戦傷者は190,000人とのこと。第一次大戦のメガ・デスの先取りである。
  • 夜、柚子とミスタードーナツで待ち合わせて、一緒に帰宅する。