自転車を漕ぎ、音楽を聴き、イソザキ本を読み

  • 昼から役所に。保険課の前には、通知を握り締め、顔を歪めた老人たちの行列ができていた。
  • 夜、バーンスタインベルリン・フィルを振ったマーラー「第九」を久しぶりに聴く。ベルティーニ指揮の「第九」でこの曲の真髄に触れた!と感じ、それならば、と、あれこれ聴き比べをしていたころに買ったのだった。大学の頃の恩師S藤先生が呑み会で、マーラーの第九ならこれだ!と吼えておられたのが、ずっと気になっていたと云うのもある。しかし、そのころは耳がベルティーニ「第九」ですっかり浸っていたので「成るほど、こんなものか」と思って聞き流したのだったが、今、再び聴きなおしてみると、いやいや、これはこれで、もの凄い。音のパレットがとても豊かな「第九」なのだ。
  • シャーマンのような指揮者に率いられ煽られて、1979年のベルリン・フィルが全身で、唸り、咽び、泣き、悦ぶ。
  • さすが、あの妖異巨塊な『トリスタンとイゾルデ』の録音を残したひとの音楽だなぁ、と、すっかり感心して、聴き惚れる。
  • 平松剛の『磯崎新の「都庁」』を読み終える。非常に読みやすい本だった。
  • この本の中に、ふたりの建築家の言葉が引かれている。
  • 「説明なんか後からどうとでもなるんです! 不恰好です!」
  • 「正直なことを言うと、やっぱり私は自分の手の動いた痕跡しか信用していない。論はどんなにも組み立て可能だと思っている。」
  • 最初のが丹下健三、あとのが、本のタイトルにも名前のある磯崎新だ。
  • 丹下は兎も角、「言葉の建築家」のイメージが付き纏う磯崎からこのような吐露があるのは、少し意外なふうにも思えるが、さにあらず。
  • 戦後日本のモダニズム建築のチャンピオンと、ポストモダン建築の旗手が師弟関係にあることは有名だ。そのふたりが、コンペでぶつかったのが、昭和60年、新宿の都庁舎をめぐるそれだった。この本では、実際に建てられた丹下案と、アンビルドの磯崎案が試行錯誤を繰り返し、実際に提出されるまでを、彼らの出自から建築家としての軌跡、その建築の背景に在るものへと行きつ戻りつしながら、丁寧に積み重ねて描いてゆく。文体にも記述にも、晦渋な箇所は些かもなく、丹下健三磯崎新と云う建築家の、それぞれの入門書としても優れている。
  • やがて、規模・予算等の総てに於いて、日本では破格のコンペに立ち向かうふたりの建築家と、彼らの手足となり疾走迷走する若き日の渡辺真理青木淳、そして丹下のところの古市徹雄などのスタッフたちの姿を追いかけて、遂に、436〜437頁に到り、其処に満ちる「光」には、ちょっと感動してしまう。
  • 巻末の年譜も充実しているが、できれば磯崎新以外の人びとの年齢も書き加えて欲しかった。対比となり、より明瞭に像が描けると思うので。
  • この本を読んで感じたのは、戦前の前川國男の「帝室博物館」コンペの参加案とは違って、磯崎新の都庁舎案は、(以前は私もそう漠然と思っていたが)負けることを予想して提出した案ではなく、丹下健三と真剣で斬り合い、真向から勝つつもりの案だったのだろうと云うことだ。磯崎自身は「(笑)」とぼかしているが、きっとそうなのだと思う。
  • 今後、青木淳たちが、磯崎の前に、このとき丹下に対峙した磯崎のように、立つことはあるのだろうか? 近年の中東や支那に於ける仕事を眺めてみても、磯崎新の冴えに、衰えは些かも感じられない。だからこそ、現在の磯崎新は、とても孤独な気がする。彼を「喜寿。建築活動ますます盛ん也」のまま祭り上げておくことは、本当に磯崎にとって幸福なことなのか。
  • 磯崎新を討て!