盛んに鳥が啼く。

  • ゴミ棄てがあるのでいつもよりずっと早く起きる。雨。ゴミ棄て場の前で傘をさし、自転車をとめて主婦がふたり話をしている。わざわざそんな場所で立ち話しなくても、と思いながら、会釈する。
  • 家に戻り、先日の再放送を録画しておいたNHKスペシャルJAPANデビュー」シリーズの『天皇憲法』をみる。やるべきことをキチンとやっている番組。日本人である私たちとは何者なのかを探るための最初のタタキ台としては充分。あちこちに、更なる探究へと誘う入口を開けてあるのもよい(前回の日本の台湾統治の回も、私は充分によくやっていたと思う。私は、日本語を母国語として話す台湾人の爺さんたちをみて泣いた。彼らを日本人と呼ばずして、何と呼ぶのか。彼らの話しぶりや顔をみて、心中に抱えた日本への複雑な思いを、あの映像のなかから汲み取れないような視聴者などいるのだろうか? そして私は、彼らのような存在を生み出して、負ける戦争をして(戦争は、やるなら絶対に勝たねばならない)アジアから撤退した近代日本と云う存在の哀しさをつくづく感じて、泣いたのだ)。
  • 風呂掃除をする。鳥が盛大に啼きはじめ、窓から覗くと空が明るくなっていたので、洗濯機を廻し、洗濯物をベランダに干す。ベランダの隅に置いた、睡蓮を入れた甕に縁のぎりぎりまで水を足す。今年は花が咲くだろうか?
  • 先日の夜はうっかりしていて放送時間にみるのを忘れた『東のエデン』の第4話を、YouTubeでみる。ようやく面白くなってきた。
  • ラルス・フォークトの弾くシューベルトピアノソナタNo.21を聴いている。この頃、ギーレンの振るマーラーの第九を聴いているときもそうだったのだが、もともと好きな演奏なのだけれど、あれ!?こんなふうに鳴っていたかしら?と感じて、驚くことがある。音楽が以前よりずっと、まるでありありと手に取れるもののようなふうで、私の奥へするりと入ってくるような気がする。どちらも、たびたび聴いてきた演奏だから、私のなかで蓄積が発酵し始めたと云うことなのかもしれない。
  • アルバイトを終え、駅前でドーナツを齧って『ベルリン陥落1945』を読みながら柚子を待ち、一緒に帰る。