• 仕事を終えてから、柚子に連絡する。隣町の駅前で落ち合って、前にも一度行った店で、鯛とドライトマトのパスタと、チーズのピザなどを食べる。最近考えている写真のことなどを、柚子に話す。とても穏やかで楽しい、クリスマスっぽい夜になって、今年も柚子といられたことの幸せを噛みしめる。

  • 多木浩二の『映像の歴史哲学』の抜書きの続き。多木は『写真論集成』をつまみ食いするまで、もっと教科書的な、微温的な書き手かと思い込んでいて、真面目に読んでこなかったのを、ちょっと反省している。

これはベンヤミンもそうなのですが、マルクス主義の洗礼を何らかのかたちで受けた人間というのは、政治を「美的」に捉えるということにたいする危険を強く感じます。ヴェルトフはソビエトの政治に反対の立場をとっていたわけではなく、むしろそのなかで生きて新しい社会をつくっていこうと思っていた人ですが、政治を「美的」に捉えようとはしなかった。「美的」ということを別の言い方でいえば、ナラティヴ(物語・叙述法)と言ってもいいのですが、ナラティヴに依存することはせずに映像をつくっていった。そして、それによって人々を、リーフェンシュタールのような無邪気な政治意識から開放して、現実に向かって覚醒させるような映像をつくっていった。だから私たちはヴェルトフの『カメラを持った男』を見るとさっぱりした気分になるのです。リーフェンシュタールの映画はさっぱりした気分にまったくなれない。むしろいろいろなものがゴチャゴチャと混乱して入っている。ヴェルトフの映画はゴダールの映画に似ています。ゴダールの映画は、なぜか見たあとに気持ちよさが残るのです。(…)「映画であること」というのは、映画的な美であることを解体するということかもしれません。

もはや何人たりとも逃れられない映像的日常にたいして、私たちは何らかの別の媒体をもち、それによって考えるという行為をしつづけなければなりません。その別の媒介というものは(…)思想や藝術です。(…)しかしそれをもし失ってしまうようなことがあれば、人類はどこかで滅びるでしょう。自分が考え、つくり出すことというのは、そういったきわめて重大なことを背負っているのです。(…)戦争に囲まれてしまった私たちは、藝術や映画や写真などを見ながら、言語化し、考えることがなにより大切なのです。作家自身がひょっとしたら気がついていないことまで含め、考えてしまえばいいのです。(…)戦争に私たちが投げ込まれていくときに、思想や藝術について考える能力を何とかして身につけることが、人類が滅びないための方法なのです。(…)私たちは考えはじめたときにはじめて希望をもちうるのです。(…)藝術文化としての「クンスト」と、日常生活の技としての「クンスト」の両方を守り抜けるかどうかが、この戦争化した世界のなかでなによりも大切なのです。

  • だらだら読んでいる多木浩二の『映像の歴史哲学』から書き抜いておく。後半は、多木の講義というより今福との対談のようになってきて、薄まるのがかなり残念。

現実の世界がある。そして私たちは、世界についていろいろなことを考え、それを言語化し、知としてつくりあげる。ところが、現実世界と知とのあいだはかならずしも直結していません。むしろこのあいだに意味の不確定な膨大な領域があり、この領域が「表象(ルプレザンタシオン)」の領域であると考えられます。このなかにはほとんどすべてのものが入ってきます。(…)「世界」も「知」も分かれているわけではありません。「世界」だか「知」だかわからないところにいるわけなのです。(…)『プロヴォーク』が言語と写真の関係性を研究することを目標に掲げたのには、そういった一面があったからです。

絵画というのは、あるフレームで切り取ります。それも決定的に切り取るわけです。ところが写真というのはある意味でフレームはないに等しいわけです。あっちを向いても撮れる、こっちを向いても撮れる。どこを向いても撮れるわけです。そういうノイズに満ちた知覚を私たちが許容することができるようになったとき、単なる視覚の問題ではない、ある別の知覚が浮上していたわけです。それが一八世紀の終わり近く、一七七〇年代にはじまったことが分かってきました。(…)歴史の時間を順番に繋がっていく時間と考えず、どのようにでも往復できるような、あるいはどのようにでも交錯できる時間として考えてみる必要があるのです。そういったことを考えさせてくれるようになったのが、写真や映画の登場でした。(…)ボードレールは写真に撮られるときに、実際にそこにいました。その現実感というのはあるわけですし、いまも自分がもっている現実感がある。そこで時間感覚というのがかなり動揺するわけです。

多くの人たちは、藝術でも建築でも写真でも、最初から分かろうとしすぎます。そのうちに分かってくるものなのです。はじめから分からないものだ、ということを前提に見るには、建築が一番いいです。そうするといつしか本当に分かってくるのです。(…)東松照明が何か沖縄で大変なものを見つけて、これこそ何かの象徴だといって撮っているのではまったくないのです。彼と沖縄とのあいだの長い長い触れあいのなかにあるときにふと空に浮かんだ雲、それに向かってシャッターを切ったときにはじめて歴史と深く結びあうことができたのです。(…)私たちが知を形成する以前、そして世界が存在する以前にあったイメージの群れ、それがヒストリカル・フィールドなのです。

  • 多木浩二の『映像の歴史哲学』から書き抜いておく。

写真というのは何かがすでに写っているわけですね。写真そのものが「デノート」(明示的な意味を示す)しているわけです。そこには「レフェラン」(指示対象)があるわけだから、そのレフェランをキャプションに書いたって意味が情報的になるだけであって何の意味も増殖しない。/たとえばある地形があるとします。その地形によって何がもたらされたか、ということについて、写真のなかに写っていないことを書け、と彼(名取洋之助)はしばしば言うのです。考えてみると、それはデノテーション(外示的意味)ではなくコノテーション(含意といってもいいし、共示的な意味といってもいいですが)を書きなさい、ということなのです。

  • 今福龍太が編んだ多木浩二の講義録『映像の歴史哲学』を読み始める。「写真には、いつも過去と現在しかないのだ」「それらが風で吹き飛ばされないように、必死で繋ぎ留めているのは、われわれの現在なのである。」「巨大な船が沈没する・タイタニック――これは事件だ。人びとはそれを歴史に書き込む。しかし難破につづく溺死者のながい漂流――それは歴史の外にある。偶然、どこからか流れてきて、次々と浜辺に打ち上げられてくる溺死者の群れ。写真もそんなふうにして生まれてくるのだ。」
  • 帰宅する。くさくさしているので、リームの《トゥトゥグリ》を引っぱりだしてきて、音はそんなに上げないで、聴く。

  • 十年ぐらい前の元旦、突然奥歯が痛くなり、泣きながら柚子にタクシーで救急に連れて行ってもらったことがある。そのあとから通った駅前の歯科医院(ネットで調べたら、昔は丁寧だったのに客が増えるようになってからは……と書き込みされていた)に朝起きてから久しぶりに電話をすると、昼前なら応急処置で診てくれるとのこと。仕事に行く前に寄る。歯科衛生士の女性がすごくしっかり処置してくれて安心する。そのあとの院長の仕事も相変わらず手早くて何の心配もなかった。しばらく、また通うことになる。
  • せめて日記ぐらい書きたいと思うが、全然書けず、洗濯物も取り込めず。だらだらと眠る。

  • 今日は仕事が終ったら早く帰ろうと思ってそれなりに早く帰ってきたのだが、帰って菓子パンを食べて、ちょっと奥歯に違和感があって、爪の先で歯と歯茎の間を押していると、詰め物をしている銀歯が、ぽとん、と舌の上に転がり落ちてくる。
  • 柚子が帰宅してから晩御飯を食べる。蒲団のなかで本を読んでいるうちに眠ってしまう。何も書けず。