頭の悪さを神経の所為にしないこと!

  • やっと午後に締切が明ける。いつもながら徒労感が強い。ついでに給料日だがあまりの安月給ぶりに徒労感に拍車が掛かる。先日からの約束で、六時に会社を出て、私の誕生日祝いを贈ってくれる柚子と梅田の阪急百貨店で待ち合わせ。通勤鞄が少し駄目になってきたので、新しいのを買って貰おうと思って選んでいたのだが、ひどい憂鬱で、それが本当に欲しいものなのかまるで判らなくなる。柚子には本当に申し訳なかったが、きょうは何も買ってもらわずに梅田を離れた。阪急梅田駅まで戻るが、赤福がどうしても欲しいような気になり、JRのキオスクまで移動するが、売切れている。
  • 帰宅。少し横になるが憂鬱増すばかり。夕食後、柚子がバースデイ・ケーキを出してきてくれる。締切で今週は帰りがずっと遅かったので、食べないまま冷蔵庫にしまっていたのだ。柚子が食卓の灯りを消して、蝋燭を立ててくれる。その後ケーキを食べたが、味もさっぱり判らない。2階に上がり、再び横臥。あれこれ考えようとするが何もよいことを思えなくて、そのまま眠ってしまう。一時過ぎに柚子が起こしてくれて入浴。ようやっと靄が晴れてきて、頭が回りだす。結局、いつまでも続きはしないだろうことを続くかのように錯視するのは、神経の問題ではなくて私の頭の動きが鈍いだけのことなのだ。知恵の問題なのである。「神よ願わくばわたしに変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」*1ヴォネガットの『スローターハウス5』に出てくるこの言葉が、私の座右の銘である。しかし、なかなか難しい。
  • 陰鬱な顔で道を歩く私は憂鬱の中に浸っているから構わないが、その横を歩かねばならなかった柚子は傍迷惑で、いちばん憂鬱だったに違いない。酷いことをした。

*1:God grant me the serenity to accept the things I cannot change,courage to change the things I can,and wisdom always to tell the difference.