現代の現代音楽と洋食。

  • MT氏から頂戴した、望月京(もちづきみさと)のオーケストラ作品を取り上げたNHK-FMの「現代の音楽」を録音したものを聴く。出世作らしい「カメラ・ルシダ」、そして特に「ホメオボックス」と云う曲が素晴らしかった。それらは'01年までの作品だが、近作の「今、ここ」も、ググッと引き寄せられる凄く良い部分もあるのだが、ちょっと息切れしているふうな感じもある。現在は模索期かな? 次回作は'09年に初演される、村上春樹の『パン屋再襲撃』を原作とするドイツ語によるオペラだそうで、どう云うふうに化けるのか、大いに期待。しかし、ふと、最初のオペラはベルリンから依嘱された三島由紀夫の『金閣寺』だった黛敏郎のことを、思い出す。何となく、世代や性別を超えて、このふたりには響きだけでない共通点があるような気がしている。
  • 姑の病院に。息苦しさは増しているようで、今は酸素吸入をしている。相も変らず益体のない話を少ししてから、病室を出る。出口の近くでばったりと、主治医の補佐をしている若い女医さんが、自販機の前で飲物を選ぼうとしている処を見つけたので、姑の現在の病状のことを訊ねる。もちろん良いわけがないのは判っているのであるが、どれぐらい良くないのか、確認しておきたかったのである。ポツリと脳内に転移していた癌は綺麗になっていたとのこと。なるたけ早く、化学療法(抗癌剤の治療のことである)を再開したい、との由。
  • いちど家に戻り、仕事を終えて姑の病院を経てきた柚子と駅前で待ち合わせて、夕餐に。路地を少し入ったところにある古びた洋食屋「C」へ行く。店内の壁に張り紙がしてあり、今年三十周年を迎えたそうで、それを期に、今月末で店を畳むらしい。この時間はパブとして営業もしていて、常連らしい客で賑わっている。料理はどれもしっかりとした味で、おいしかったので、もう来れなくなるのは残念。柚子とおいしいものを食べるのは、とても愉しい。店を出て、カラオケに寄ろうと云うことになるが、何処も三十分待ちやら二時間待ちで、断念して帰宅。きょうもチャイを淹れて飲む。
  • やはりこれまたMT氏から頂戴した望月京の作品集『Si Bleu, Si Calme』も聴く。'00年までの作品が収められている。どれも、とても挑戦的でアグレッシヴで、濃密な響きである。捨て曲なし!!とでも云うべきか。すごく勁い音楽ばかり。CDを止めて、燈りを消して蒲団に入っても、まだ耳の奥だか身体の何処かで、その音楽が鳴り続けているような感じさえ受けたのである。
  • ところで、ウィトゲンシュタインは『茶色本』の「22」で次のように述べている。

音楽が我々に伝えるものは、喜び、憂鬱、勝利、等々の感情であると時に言われてきた。この述べ方で我々が反撥する点は、音楽は我々の中に一連の感情を生ぜしめる道具だと言うふうに聞えることである。もしそうならば、そのような感情を生ぜしめる手段はすべて我々には音楽の代りになれると考える人もありえよう。----このような言い方に対しては、「音楽は我々に【それ自身】を伝えるのだ!」と我々は言いたくなる。