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- 帰宅すると東京国立近代美術館の「中平卓馬 火・氾濫」展の図録がようやく届いていた。さすがに立派な出来。
- 『作業日誌』の1954年7月8日を繰ると、ブレヒトがさっそくオッペンハイマーの「弁明書」を読んでいるのが判る。「彼の文書は、肉の調達を拒否したといって食人種から訴えられた男の書いたものを読むようだ。しかもその男は弁明のために今、人間狩りの最中、湯沸しに使うまきを集めていたと申し立てているわけである。何という暗い谷間!」と書いている。その前日の7日には、「この国は相変らず不気味だ」と書き始め、「文芸部の若い連中」と旅行に行ったとき「突然、もし十年前だったら、この三人はみんな、僕のどんな著作を読んでいたとしても僕が彼らのいるところに姿をあらわしたら、直ちに僕をゲシュタポに引き渡しただろうと、ふと考えた」と書いている。東ベルリンとニューヨークの間の「暗い谷間」にいる晩年のブレヒト。
- 夜、ナンバさんとシノギさんと『オッペンハイマー』について話す。終わると疲れ切って倒れ込むように眠る。
- 「「核融合」と題されたパートは全部切ってしまってもいい」と言ったが、ナンバさんと話して、あれは「原爆の父」から拒絶された子供の復讐劇なのだと読んでもいいかもしれないと思う。ストロースが結婚式のあとの我が子をオッペンハイマーに紹介しようとするが、にべもない。「水爆の父」になってくれず、グローヴスのような栄光も与えてくれない父への復讐。
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- デイヴィッド・リンドリーの『そして世界に不確定性がもたらされた』を読み始める。そのものずばりの科学の啓蒙書よりも科学史の本を読んでいるほうが自分にとっては面白く、より理解できる気がするのは、今の私が漠然と分け持っている常識よりも以前の話からしてくれるからで、或る時点で起こるぎくりとした飛躍が、自分の中で追体験できるからだろう。
- 夜はフェスティバル・ホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を、ミシェル・タバシュニクの指揮で聴く。ちょっと長めの指揮棒で、ふわーっと指揮する姿がとても好ましい。ゆったりしたテンポで曲の仕組みを聴かせるモーツァルトの交響曲《第36番》のあとにアルバン・ベルク《管弦楽のための三つの小品》で、これがいやらしいぐらい濃密だった。休憩を挟んでリヒャルト・シュトラウスの《ツァラトゥストラはかく語りき》で、新ウィーン楽派は編成なども含め、本当によくリヒャルト・シュトラウスを研究したのだなというのが判った。タバシュニクの指揮はもっと聴いてみたい。
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- ノーランの『TENET』をAmazonのプライムビデオで再見する。操車場の、上りと下りで貨車が行き交う間で、CIAがロシアのマフィアに拷問されているシークェンスは本当に素晴らしい。これをずっと見せてくれるだけでいいのに。それをやる胆力も覚悟もノーランは持ち合わせていないので、細切れにして繋いで、派手な音で、大きな画面で上映して、これこそが映画の体験だと嘯くのだ。『TENET』は、ノーランの良さも駄目さも全部もろに出ている映画で、だから今のところノーランでいちばんいい映画だと思うのだが、それは設定そのものが小細工のきわみで、小手先の編集ごときでは逃げられない制約のゆえだろう。もちろん、デジタルカメラで撮ることが当たり前になって、ワンショットの長回しなんか何の計画もなしにやれてしまうので、それさえやれば映画ならではの体験が滴り落ちるなんてことは言えない。だからこそ、編集というものの力をどう解き放つかということが、ますます映画において大切になっているのだが、それがノーランのような方向性であるとは決して思えない。