• 安い古本をぼつぼつと買っている。ほぼ毎日郵便受けに封筒が届いている。持っていなかった梅本洋一の映画批評だとか十年ぐらい前のホンマタカシのムックとかサラ・コフマンとか。梅本洋一はシェローやムヌシュキンたちの演劇について書かれた『視線と劇場』が、まだぱらぱらと捲っただけだが、面白い。ペーター・シュタインの『悪霊』のイタリアでの上演の記録を見ていたら、ドストエフスキーの原作が読みたくなり、江川卓の訳の文庫本を、本棚から引っ張り出してきて、三十年ぶりぐらいに読んでいる。これまでは『白痴』がいちばんだと思っていたが、『悪霊』のほうが面白いんじゃないかと、昔は退屈だった第一部(佐藤亜紀さんにインタヴュしたとき「あのステパン氏とワルワーラ夫人の「もちゃもちゃ」が好きなんだよね」とおっしゃっていた)をとても楽しみながら、読み進めている。昔の組みなので活字が小さくて、追う眼の滑りが楽で読みやすい。今の新潮文庫ドストエフスキーは活字が大きすぎて読みづらい。

  • 朝起きると、鬱々苛々していたことはどうでもいい、というか、なるようになれば別にいいやと思えるくらいになっていたので、やはり眠って脳をすっきりさせることは大事だなと、柚子が心配していってくれることには従おうと思った。朝、ゴミを棄てに行って写真を撮る。
  • 夕方まであれこれ書き物。頼まれている批評を少し進めて、あとは過去の日記を書いている。夕食は柚子が唐揚を作ってくれた。とてもおいしい。本日は家から出ず。

  • 仕事に行く。昼飯に食べた、前任者おすすめの弁当屋の唐揚弁当がとてもまずい。
  • 最近、なぜか山下達郎の初期のアルバムをずっと聴いていた。『SPACY』とか『RIDE ON TIME』とか『For You』とか『GO AHEAD!』とか。神経を昂らせない、耳慣れしているものを聴こうとしているのかと思っていたけれど、むしろ、スタジオに引きこもって地道な作業を重ねて作られた音楽を聴くことで、この引きこもり生活の意味を見出したかったんだろうかと、考える。「外へ出るのも」だめなんだけれど*1
  • 帰宅して、夕食を食べる。柚子に「しんどそうなので、とにかく早く寝たほうがいい」と云われる。そのとおりにして、すぐに眠る。途中、雨の音で眼が醒めて、窓を閉めた以外は、ずっと寝続けて、朝の六時まで眠る。

  • 十年以上積みっぱなしにしていた、第一次安倍内閣ルポルタージュ『官邸崩壊』を読んだ。著者の上杉隆の現在の凋落ぶりもそうとうひどいが、これは面白い本だった。
  • 現在の安倍内閣は、官房副長官の事務方の人事で、第一次のときに官僚たちからそっぽを向かれたので、今度は公安・警備を渡り歩いてきた杉田和博を据えて睨みをきかせるとか、小賢しく不快な学習はしているが、名声は欲しがるけど無為無策、失敗は反省せずに隠蔽したり野党やマスコミのせいにするとか、基本的な姿勢は以前と何も変わっていないというのがよくわかって、絶望的に笑えた。
  • 安倍自身も、何も変化していないのがよく判る。演説の三分の一以上は民主党の悪口の安倍、年金記録問題は菅直人のせいにしようとする安倍、教育基本法改正の前に行ったタウンミーティングは仕込みのヤラセが連発だった安倍、議員会館の前でデモを行った教職員たちに、「あれ、先生たちでしょ?仕事もしないでおかしいよね」と文句をいう安倍、じぶんを擁護してくれないジャーナリストは全員「薄汚い勢力」だと信じる安倍。彼はずっと、全くぶれないのだ。
  • 周辺の人物たちも、第一次をそうとう引き継いでいる。在特会とつるむことになる山谷えり子DJ OZMAの紅白のパフォーマンスを「ファミリー・ハラスメントだ!」と喚き、自己喧伝ばかり得意な広報担当の世耕弘成は、米下院の「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」の対応で、わざわざ渡米して派手にしくじり、問題を大きくしてしまう。
  • 第二次安倍政権が、従軍慰安婦問題を眼の敵にして、それが歴史的事実であろうが何だろうが、頑なに頭から否定するのは、これを認めると、第一次のときの大失態が意識に浮上してきて、パニックを起こして耐えられなくなるからであり、正しい歴史認識がどうしたなんて、本当はどうでもいいはずだ。とにかく、じぶんたちのしくじりと改めて向き合う恐怖から眼を逸らしたいので、従軍慰安婦問題も消えてほしいと思っているだけなのだ。
  • 当番の日なのに、総理直々の電話に出ないというミスをする脇役で、今井尚哉も出てくる。
  • 上杉は、「何をやっても同じだ、と気付いた時、安倍は、驚くほど頑固な独自路線を邁進する」と書く。これも今も変わらない。「何をやっても同じ」なら、どんな不祥事が起きても閣僚は罷免しないし、責任はとらないし、公文書も破棄するし、記憶も書き換えていい。野党やマスコミに対して、口から出まかせの的外れな反論をしてもいいのだ。
  • 安倍は2015年4月29日、ホワイトハウスでのオバマとの夕食会で、『ハウス・オブ・カード』のハードコアなファンであると告白した。続けて「しかし、このドラマを仲間の副総理に見せることはないでしょう」といって、笑いを誘ったという。
  • なぜ安倍はこのドラマを他の閣僚に見せないのか? 
  • もういちど掴んだ権力の座から追われるハウ・トゥになってはいけないからだろうか?
  • そうではないだろう。権謀術数を巡らしたクーデタなど、あらゆる失敗を否認して抑圧することで仲間や組織を支えるクリーンなこの政権下において、起こるわけがない。ならば、安倍が側近に『ハウス・オブ・カード』を見せない理由は、私邸での夫婦ふたりきりの生活を想像させることと、いつも見えない透明な誰かと喋っているフランク・アンダーウッドとじぶんを重ねられることを拒むからだろう。
  • 安倍は、いつもプロンプターに左右を囲まれて記者会見をする。このとき彼は、目の前にある透明なガラスの板だけを見つめていて、眼の前の記者たちではなく、プロンプターに向かって話しかけている。じぶんにとって都合の悪い現実から隔ててくれるガラスの壁の鏡像とのやりとりこそが、安倍にとっての対話なのだ。
  • 「安倍には得体の知れないモノに対して、第三者に強い姿勢を見せることで、自らの恐れを隠すという習性があった」と上杉は書く。国会中継で、安倍が野党議員に対して、子供のような野次を飛ばすのは、ガラスの壁の向こうの国民に向かって「強い姿勢をみせて、自らの恐れを隠すという習性」の表れなのだ。安倍が、われら臣民から愛される理由がよく判る。
  • 安倍は今、アベノマスクと囃されていることを心底嫌がっているという。
  • 眼に見えないウイルスを防ぐことはおろか、顔をきちんと覆い隠すことすらできない糞役立たずのマスクとじぶんが同一視されること。安全な場所で守られながら粋がりたい安倍にとって、防御なしで、現実に曝されていること以上の緊急事態はないだろう。その恐怖は、察するに余りある。

  • 洗濯物を干してから仕事に。職場の近くのコンビニは、カウンターのへりに透明のビニールシートを垂らして、カネのやりとりはトレイで行うようになっていた。百均のレジ前の通路には、養生テープで印が貼ってあり、前の人と近づきすぎないようにしてある。地下のスーパーに続くエスカレータの前では、店員が門番のように立って、店内に降りる人の制限をしていた。ただの商店街のスーパーの前に行列ができるのを、はじめてみた。戦時下などという言葉は決して使いたくないが、何かがぐずぐずと崩壊しはじめているのは肌で感じる。今日の昼は串揚の店は開いていて、嬉しくて駆け込む。換気のためだろう、入口の引き戸は開けっ放してある。何かの綿毛が飛んできた。
  • 洗濯物を取り込む。柚子が帰ってきて、晩飯をつくってくれたのを食べる。転寝するが、暖房が暑すぎて眼が醒める。
  • 夜中まで起きているが、起きているだけ。

  • いつも昼飯を食いに通っている店はどちらも臨時休業している。しかたなくテイクアウトの弁当を買ってきて食べる。
  • 珍しく帰宅ラッシュの時間にかち合う。ホームに滑り込んできた快速の中の混み具合を、開いたドア越しにみて、思わずたじろいでしまう。気にしすぎだろとじぶんでも思いつつも、列車から離れ、次の普通を待つ。
  • 夕食のあと台所の洗い物をする。そうとういらいらしているのを感じる。とてもよくない。

  • すっきり晴れている。カメラを持ってきて、窓越しに写真を撮る。「しま」にカメラを向けると、たいてい顔を背ける。柚子のようにかわいらしく撮ることができない(岩合さん曰く「いい写真を撮ろうという邪念が、猫を警戒させているのだ」)。彼女の朝ごはんを用意する。ふと、避難所に猫を連れてくるなといわれたら避難なんかしない、と思う。出かけようかと思うが、出ず。柚子が帰宅してから、夜、牛乳を買いに近所へ歩いて出ただけ。桜はまだ咲いている。はやく眠る。