総てを破砕しても溶け残ったピアノ

  • カントは彼が現代思想家だった頃、総てを破砕するカントと呼ばれ、忌み嫌われていた。それは、哲学する土台を確実なものとするため、既存の哲学に対して全面破壊も厭わない容赦ない追究を行っていたことからだ。
  • 杉本博司に「建築」と題されたシリーズがある。「無限の倍という焦点距離」で、20世紀の著名な建築を撮影するシリーズだ。夢のなかで見るみたいな、輪郭のすっかり溶けた姿で、ミースやテラーニ、ル・コルビュジエらの作品が写し出される。杉本に拠ると「優秀な建築は、私の大ぼけ写真の挑戦を受けても溶け残る」が、殆どの建築は「溶け去っていった」と云う。
  • 仕事を終えてから、イーヴォ・ポゴレリチの演奏会にシンフォニーホールへ柚子と出掛ける。先日、「LOW」の滝本誠イヴェントでお会いしたMさんと廊下で邂逅して吃驚。
  • 何ともヴァイオレンスかつノワールな演奏だった。ベートーヴェンにもリストにも、「なぜこの私はこの曲を弾いてしまうのか?」と云う真摯な問いがあり、其処から始まるそれぞれの曲との真剣な往還が満ち溢れている演奏だった。このスキンヘッドのピアニストは、まるで獰猛なコブラのよう。演奏を終えて立ち上がると、背も高く、実にがっしりとした体格で、特殊部隊出身の格闘家みたいだった。
  • アンコールはラヴェルの「プレリュード」とショパンの「夜想曲」第16番。特にラヴェルの不吉な響きにはゾクゾクさせられた。柚子とホールの近くで味噌ラーメンと餃子を食べて帰宅する。
  • すばらしい演奏会だった。